『暮しの手帖』というタイムマシン 

フラ語同窓生による、フラ語同窓生のための勉強会(抄録) 

「暮しの手帖」編集長 澤田康彦さん(1982 年卒)

上智大学フランス語学科同窓会・会報No.33(2019年2月25日発行)より再掲
※掲載内容は発行当時の情報です。画像は暮しの手帖社のご承諾をいただいたうえで掲載しています。

再録にあたって 2022年4月

編集長時代の講演録を再読して最もぞっとしたのは、話題の中心が戦争であったこと。ほんの3年半後の今、それが全く絵空事ではなくなったということに尽きる。花森の書いた詩編「戦場」を、かくも具体的な形で見ることになろうとは。日本に住む(のんきな)私は、本当にたまたま奇跡的に運良く戦禍にまみえることがなかっただけの世代だったのだ。覚悟しとこう。平和のあとは必ず戦争が来ることを。(澤田)

「タイムマシン」 

学生番号 76–5438 のサワダヤスヒコです。そもそも僕はいつも教室の一番後ろの席に、ロベルジュ先生とかから最も見えないポイントをうまく選んで隠れていたような者で、教壇側に立つなんて晴れがましいことはありえない。とても居心地が悪いんです。でもまあ今日は同じ釜の飯を食べた……わけではありませんが(笑)、いろんな苦労を共にしているはずの者同士という気持ちでゆるゆると進めさせていただくことにします。

何をしゃべろうかと思い、われらがソフィアのことを考えたときに浮かんだのは「タイムマシン」という言葉 です。たとえば自分は 1976 年に滋賀県から上京、入学して、82 年に就職、編集者となり、2010 年に職を離れ京都 に移り主夫となって、2015 年に暮しの手帖社に呼ばれ東京に戻って編集者に……と、それなりにうろうろしてい る人生であるわけですが、今こうして我が身を振り返ると、そのどこにも自分がいる。きっと今もそちこちに存在しているんだろうなあ、なんて思うわけです。79 年あたりは「もう大学を辞めようかな」なんて 2 号館前のベンチあたりで悩んでいる青ざめたサワダ青年がいる。がんばれえ!と40 年後のここからエールを送りたい気分です。大丈夫だぞお。教壇に立つこともあるんだぞお(笑)、なんて……。 

(影響を与えたという時間旅行 SF、カート・ ヴォネガット著『スローターハウス 5』、「ニーバーの祈り」の話など) 

時は流れていきます。『暮しの手帖』も70 周年を迎え、まもなく第 5 世紀に入ります。100 号を1 世紀と数える不思議な雑誌なんです。とある縁から編集長を引き受けることとなった僕が一番にしたことは、バックナンバーをチェックしていくことでした。隔月刊なので70 年近く 経ってもたかだか380 冊程度なのですが、ここには昭和と平成という時代がぎっしり詰まっています。それこそタイムマシンに乗っているような気持ちで、各年代の日本人の暮らしを感覚することができました。なんかどの号も、とてもとても丁寧に作られている雑誌だなあ、と思いました。 

70 年前に遡ります。1948 年の9月創刊。新しい婦人雑誌『美しい暮しの手帖』誕生です。最初は「美しい」という名前がついていたんですね。この雑誌は創業者の花森安治編集長抜きでは語りえないので、彼の仕事を注視しながら、今と比べつつ話を進めたいと思います。 

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