世界を爆走する旅のプロフェッショナル Klee邦子さんの冒険譚(2)ウクライナの旅とガイドの仕事

リヴィブ〜オデッサ〜ヤルタ〜ドネツク 戦争の跡を巡る

 爆撃で命を奪われた子供達の追悼のため、2022年3月に市庁舎の前の広場に109台の空の乳母車が並べられた街リヴィブ。

 セルゲイ・エイゼンシュタイン監督によって製作された無声映画『戦艦 ポチョムキン』(1925年)でロシアの皇帝軍が市民や子供達撃ち殺す、そのとき赤ちゃんの乗った乳母車が142メートルに及ぶ長い階段の上からどんどん落ちて行くシーンが有名です。あの階段のある街オデッサは、緑豊かなゆったりとした保養地でした。

 余談ですが、アメリカ映画『アンタッチャブル』でシカゴのユニオン駅でエリオット・ネスとギャングの銃撃戦のシーンは 前述の映画の階段のシーンからヒントを得たそうです。

 翌日は1854年から1855年のクリミヤ戦争で有名なセバストポールへ。ここではクリミヤ戦争の博物館を見学。

 その後は第2次世界大戦の末期にイギリスのチャーチル首相、アメリカのルーズベルト大統領、ロシアのスターリンが戦争終結後の会談を行ったヤルタへ。
 ニコライ二世の別荘だったリヴァディア宮殿は、随分記録映画でも見ている館だったし、ロシアが日本攻撃を決めた部屋もあり、複雑な気持ちでした。とにかく何処もかしこも戦争の跡を辿ったのです。

 それから今は親ロシア派によって支配されているドネツクへ。この街はあの当時、やけに大きな戦争記念碑などがあり、何となく暗い印象を持ちました。

 最後は汽車でキーウに戻る旅でした。車窓がのどかな田舎だったのが思い出されます。ガイドはフランス語の上手な知識豊富な人たちでした。暖かい素朴な人柄の人たちの国で忘れがたい思い出です。

 その国の人たちが、国を守るのにオリンピックのチャンピオンも銃を持って戦っている様子を見て、平和が一日も早く戻りますようにと切に祈ります。

1945年 英ソ米首脳会談の開かれた、ヤルタのリヴァディア宮殿
スターリンとルーズベルトがロシアの日本対参戦を決めた時に
使われた椅子
1 2 3 4 5 6 7
目次
閉じる