世界を爆走する旅のプロフェッショナル Klee邦子さんの冒険譚(2)ウクライナの旅とガイドの仕事

ガイドの仕事

 ガイドの仕事は大体が観光のご案内ですが、その他にも、いろいろなお手伝いをします。その中から、いくつかの思い出を。

アルザス・モゼール記念館と日本の大学を結ぶ遠隔会議

 アルザス地方は、戦争の度にドイツになったりフランスになったりした土地で、ドイツ時代にはアルザスのボージュ山脈に強制収容所が作られ、未だに残っています。日本の学生達もここを訪れるのですが、ここ3年、パンデミック(コロナ禍)の影響でフランスに来ることができません。このため、アルザス・モゼール記念館(ドイツ時代にアルザスとモゼールがドイツに併合された時の記念館)では、新しい試みとして、アルザス側の教授や記念館友の会の会長と、日本の大学生達が参加して、遠隔会議(ビデオコンフェランス)をすることになりました。
 わたしは通訳として、そのお手伝いをしました。

サント・マリー・オ・ミーヌのパッチワーク展

 昔、銀鉱山で栄えたサント・マリー・オ・ミーヌと言う街があります。この街には、ルイ14世の時代、プロテスタントの人たちが住んでいました。カトリック化された時にその住民が米国に移住し、現在でも電気や電話、近代的なものは使わず生活しているアーミッシュの元になりました。

 その当時から、残り布地を使って作るパッチワークを続けていますが、1993年、このサント・マリー・オ・ミーヌの人達が、廃れた街を活気づける企画として「パッチワークを始めたアーミッシュは、わたしたちの街から米国に渡ったのだから、その記念としてパッチワーク展を」という案を出しました。

 そのパッチワーク展のアイデアが実現し、成功しています。毎年世界のあちこちからパッチワークの作品が集められ、コンクールが行われたり、手芸道具の市が開かれたりして、多くの人が訪れます。

 日本からもパッチワークの先生方が作品を出展し、1000点近く出される作品の中から日本の方の作品がしばしば入賞します。そのお手伝いもしました。

日本の先生のパッチワーク作品
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