アンコールワットと日本のかかわり 森本右近大夫一房の「祇園精舎圖」
16世紀にカンボジアのアンコール・ワットが極楽浄土、祇園精舎だと思って出かけた日本人がいました。
寛永9年(1632年)のことです。
「私は祇園精舎へ来た」ということを、アンコールワットの石壁に筆で書いています。
矢立の筆で書いたのでしょうね
書いたことばは、以下のようなものです。
「寛永九年正月初めてこの地に来る。生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房 御堂を志し数千里の海上を渡ってやってきました」
そして、32名の人たちが筆で自分の名前をサイン、落書きしたのを見ることができます。
当時、山田長政がいた頃のアユタヤ、南洋の日本人街には、たくさんの日本人が堺などから貿易船で渡って来ていました。
それでアンコール・ワットに残されたこの墨書をフランス人研究者が見て「これは日本語だ」とわかったのです。