経鷲会のイベントにご参加ください。

量産されているミステリー、珠玉の作品は変わらない不思議

                             

秋葉 哲

/1841年頃E・A・ポー作品が現代に通じる推理小説(ミステリー)の始まりだそうだ。イギリス、フランスで好まれた創作ジャンルで傑作が相次いだ。伸びゆくダイナミックな国を背景にしたUS作品も多彩だ。
約2世紀に及ぶミステリー財産は巨大だ。でも読後感を満足させる作品は限られている。個人的にはイギリス女流D・デュモーリアの「レベッカ」、J・ヒギンスの「鷲は舞い降りた」、アメリカではコーネル・ウールリッチ、レイモンド・チャンドラーが永遠の輝きを放っているように思える。チャンドラー 達が創造したハードボイルドスタイルはミステリーの一大山脈でもある。現代USのベストセラー作家ダン・ブラウンも構想が巨大で迅速な活躍場面の連続、イギリスのK・フォレットは歴史的状況を織り込んだ縦横な策略を冒険ミステリーに描く。面白いけれど“アッと驚く”仕掛けや胸がすくような騙され度が少ないのが惜しい。やはり長年読者を騙してきた往年のミステリーが愛おしい。
その一人C・ウールリッチ(別名ウィリアム・アイリッシュ)の緊張、悲劇度、恐怖感、サスペンスの連続は背筋をゾクゾクさせる読書時臨場感がある。
1942年作「幻の女」は、日本には戦後直ぐに入ってきたに違いないだろうけれど、海外推理小説の途絶にあった当時の読者の昂奮が想像できる。最近最後の転居で書籍を片っ端から処分しているが手に取って開いてみた。
The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour. 書き出しから騙しが始まっている。抒情的な開始だが進むと誰も主人公の無罪を立証できず死刑執行の日限は日一日と迫ってくる。緊張とサスペンス度合いは高まるばかり…
この作家、1930年代の人気曲Blue Moon のR・ロジャースの歌い出しの一節を引用した「暗闇へのワルツ」でも同じような抒情的な雰囲気を創っている。もうこのようなミステリーは出てこないと思う。ウールリッチはミステリー作品を「何を書くか?」ではなく「如何に書くか?」なのだと語っていたそうだ。多くの傑作短編がその奮闘の賜だと思う。
日本でも松本清張は世間を大きく騒がせた“安宅事件”を作品にしている。騒動の張本人にある種の好意すら抱いた風な書き方をした。それが読者を考えさせる読後感になっていると思う。こんな凄い作家も滅多に出てこないか?

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次