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1953年文化放送開局直後に始まった日本ビクター洋楽を同社社員帆足まり子さん(帆足計旧東京4区社会党衆院議員令嬢)がDJを担当した“S盤アワー“があった。中学2年頃トランジスターラジオを手にした時から聴き出した。エンディング曲ラルフ・フラナガン楽団「唄う風」が爽やかな印象だった。翌1954年からラジオ東京で対抗するかのように日本コロンビア“L盤アワー“が始まったらしい。オープンテーマ曲はパーシー・フェイス楽団の流れるような旋律“In Love”だった。中学3年の頃に聴いている。両番組とも洋楽ヒット曲や人気の映画音楽が中心だった。一般ラジオ(中波)でジャズ専門のDJ番組は滅多になかったと思う。
1958年に横浜で開局したラジオ関東は音楽DJ番組が並んだ。深夜11時20分から真夜中まで横浜港の汽笛で始まる“ポートジョッキー”があった。オープンテーマ曲はビリー・ヴォーン楽団が軽快に演奏した古い“Among My Souvenirs”、少し甘く沁み沁みとした森あき子アナの語りがあった(森アナはニュースでは冷静に淡々と伝えていたから違いが面白かった)。受験時代の息抜き用だったけれど洋楽ジャンルの勉強になった。これを週3回位聴いていたのが大学受験に災いした?大学入学した後は多忙になり滅多に聴かなくなった。
NHKでも同時刻に“夢のハーモニー”があった。オープンテーマ曲は戦時中から国威発揚に貢献したジョージ・メラクリーノ楽団の静かながら鮮やかな旋律“Alone”だった。何時の間にかマントヴァーニ楽団演奏のミュージカル名曲“The Way You Look Tonight―今宵の君は”に変わっていた。大所歌手は必ずアルバムに吹き込んでいたUSの傑作だ。DJはNHK切っての美貌の才媛下重暁子アナだった。大学時代~社会人初めの頃時々聴いていた。
1967年からFM東京真夜中から1時間近くの“ジェットストリーム”が始まっている。オープンテーマ曲はフランク・プゥルセル楽団の“Mr. Lonely”、声優城達也の物静かな語りが眠気を誘ってくれたから大概途中で眠っていた。この番組を懐かしがっている世代が多いようでこの人の語りが入ったCDアルバムは今でも人気があるそうだ。
こんなことをダラダラ投稿してもまさに“老いの繰り言”だと自戒している。ラジオ時代を共にした世代の皆様が次々鬼籍に入られていくのが惜しくて申したが、続く世代も観た途端から雲散霧消するTVでなく、テーマ曲から良く練られたラジオDJ番組にも親しまれるよう願う。 秋葉 哲