『歌(アヤゴ)の島・宮古のネフスキー – 新資料で辿るロシア人学者の宮古研究の道程』
田中 水絵 著
2022年10月発行
https://borderink.com/?pid=171009658
著者は、学科11期の田中(池田)みづえさん。
100年前、ロシアからひとりの民族・言語学者が宮古諸島を3度訪れた。彼の名前はニコライ・ネフスキー。自在に宮古の言葉を操り、島民たちから古来より伝わる言葉、歌、風習を聞き集めた。綾なる古語で紡がれたアヤゴ(歌)に魅了されたネフスキーだが、大粛清の時代のソ連で悲劇的な死をとげた。しかし彼が残した資料は宮古研究の光源として、いまも宮古の島々を照らし出している。
いま蘇る宮古研究の先駆者ネフスキーの旅。日露の新資料が明かす「何故、宮古なのか?」。
付録として、ネフスキーの『宮古方言ノート』を駆使し訳した2論文収録(田中水絵訳)「(宮古の)病気治療」「神酒」。
【著書より一言】
11期(71年卒)田中(池田)みづえ と申します。
本年10月、田中水絵 『歌(アヤゴ)の島・宮古のネフスキー – 新資料で辿るロシア人学者の宮古研究の道程』をボーダーインク(沖縄)から出版いたしました。
ロシアの言語・民族学者ニコライ・ネフスキー(1892~1937年)は1915年に来日し、14年間の日本滞在中に東北のオシラ神・アイヌ語・宮古諸島研究で功績を残しました。
しかし、帰国後、スターリンの粛清で銃殺されました。
ネフスキーの生涯については上智大学の大先輩・加藤九祚先生が1976年『天の蛇』(大佛次郎賞受賞)を著されました。
同書で加藤先生は「何故、宮古なのか」という疑問を発しています。
拙著は『天の蛇』以降に世に出た資料、また加藤先生と共に参加した2012年のサンクトペテルブルグにおけるネフスキー国際シンポジウムの折に入手した未発表の資料などを基に、この疑問に対する答えの一つを提示するものです。
今年はネフスキーの初の宮古来島から100年目に当たります。
ロシア語学科同窓会の皆様に御紹介頂ければ幸いです。
よろしくお願いします。