石澤良昭教授 記念講演会「なぜフランス語か」(1)初めてのカンボジア -フランス極東学院から学んだ「アジア研究」

初めてのカンボジア:フランス極東学院から学んだ「アジア研究」

私の講座では、学生さんをカンボジアへ連れて行くのです。
遺跡を見せて説明をして、「歴史を知るというのは、こんなにおもしろいのだ」ということを直感で感じてもらう。そしてその人たちが上智大学を卒業して、世界のため上智のためにがんばっていただくことを目指しています。
その最初の思いつきは、ポール・リーチ先生(Professeur Paul Rietsch, SJ) が私をカンボジアへ連れて行ってくださったところから始まっています。

私は北海道から上智大学に入学し、初めてフランス語なるものを学習しました。このフランス語の授業は出欠が厳しく、フランス人神父である先生の熱意あふれる4年間の授業でした。

1959 年、AUVIT(Amitié Universitare entre Vietnam-Japon-Thailande)の学生交流プロジェクトにより、カンボジアにあるフランス極東学院アンコール遺跡保存局を訪れ、フランス語の会話を実体験できたのです。
それはフランス語の研修を兼ねて初めてベトナム(当時の南ベトナム)とカンボジア王国を訪れる機会でした。

何故、東南アジア 2 カ国かというと、両国とも旧フランス領インドシナであり、フランス語を話す人達がたくさんいる、最も近い国だからです。フランス語を習得し、未熟ではありましたが、これが新しいアンコール遺跡研究の世界へ飛び込むきっかけとなりました。

最初にリーチ先生とカンボジアへ行った時代は、1ドルが360円という頃で、日銀へ外貨を換えに行きました。
日銀の人に「今は外貨を稼がなければならない時代なのに、なぜ稼がない学生が外貨を使うのか?」と言われて、「なるほど社会全体としては外貨が大切なのか、自分はその外貨を使って外国へ行くのか」と認識しました。そんな形で世間的な一般常識を知ることになったのです。

1960年にカンボジアへ行ったときに遺跡を見物した写真です。
上段右から2人目にリーチ先生がおられます。私は写真を撮影しておりました。




第1回AUVIT学生交流会の6名がアンコール遺跡へ(1960年)。
上段右から2人目がP.リーチ教授
AUVIT学生交流会を創設したP.リーチ教授
Pr Paul Rietsch SJ(1960年)
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