石澤良昭教授 記念講演会「なぜフランス語か」(1)初めてのカンボジア -フランス極東学院から学んだ「アジア研究」

Langues Oの隣の教室では、あのアレクサンドロス大王(前 356~前 323 年)の国のマケドニア語が開講されていました。ウクライナ語科もありました。ポーランドから以東のヨーロッパ、アジアやアフリカの諸言語も開講されていました。時間がなく全部を勉強することはできませんでしたが、本当にいろいろな言語がありました。
フランス語を学ぶことによって、私にとってはフランス語ですが先ほどの学生さんにとっては日本語をやることによって、そうした可能性が開かれる。

だからまずはフランス語をしっかりやる。日本でフランス語をしっかり勉強して フランス語の文献を読んで、自分自身を磨きあげていく。その後、私自身は、サンスクリット語、パーリー語、タイ語、ラオ語などを学ぶことができました。
やはりフランス語をやってよかった、フランス語をやったことでこんなに道がひらけた、と自分を勇気づけておりました。

ここに一つのの示唆があります。それは皆さんもご存知のホー・チ・ミン大統領です。ホー・チ・ミンはベトナム人です。蒸気汽船の石炭をくべる火夫に応募して合格して、サイゴンからスエズ運河を通ってマルセイユに行くまで、船に石炭をくべ火を見ながら、そのあいだにモンテスキューの『法の精神』を読んでいました。
マルセイユに到着して船が積み替えをしているあいだは、フランス国内を歩き、マルセイユの本屋に行って本を買って読む。見聞きし読んだことからフランス本国と植民地ベトナムの現状がどんなに違うのかを学び、「自分たちの国は自分たちで造るのだ」という自覚に至ってそして独立運動へと身を投じることになります。
世界のパワーバランス関係からベトナムが完全に独立するまでには時間がかかりましたが、1945年の大戦終結後すぐにホー・チ・ミン率いる自由軍が運動を起こし、ベトナムを独立へと導いたのです。このホー・チ・ミンという人は非常に偉いなと思うのですね。

このように、他国のことを知るために一つ言語を学ぶことで、そこからもう一つ、もう二つ、もう三つと、いろいろなことができるようになるのではないだろうか、ということでした。

若き日のホー・チ・ミン
マルセイユにて1921年
© wikimedia commons

(つづく)

上智大学フランス語学科同窓会・フランス語学科共催 
石澤良昭教授 記念講演会(2023年12月17日)全文

会報44号(2024年8月25日発行)に抄録を掲載

図版は特記するもの以外は全て石澤先生の講演資料による。
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