爺さん研究者、人生を振り返る  

ルーツをたどる 三橋利光(1966年卒)

好きなフランス語: Vouloir, c’est pouvoir < 強く望めば、それが力になる。>

 私は本年2025年8月に83歳になる、爺さん研究者と自認する者です。昨年2024年11月30日(土)午後、クルトウルハイムにて執り行われたフランス語学科同窓会追悼合同ミサに出席させていただきました。思いがけずも、山岡三治神父様の唱えられる祈りの言葉を他の列席者と共に唱和するうちに、自分の最近の日常生活では決して感じることのない心の平安と私自身が癒されている、との感覚に満たされ、その貴重な経験を心に刻んだことでした。爺さん研究者の一人としてAADEF特集号に寄稿できるのは光栄であります。以下は、恥ずかしながら図らずも長期間に及んだ、自分の研究生活および個人生活の一部です。

2024年11月30日 AADEF 追悼合同ミサ後の懇親会にて旧友・先輩たちと (右から2人目が筆者)

1.上智大学フランス語学科・東京大学教養学科時代
(第1の核)

 まず上智大学フランス語学科時代(1962年入学)では、一つには、当時の「フランス文化研究会」(略称:フラ研)に所属していました。その部室は、米軍から払い下げられたと言われる「かまぼこ校舎」でした。そこでは、同級の仲間たちや、先輩たちと時にはフラ語を交えて、おしゃべりを楽しんだりしておりました。学内で催される語劇祭にも仲間たちと何回か出演したことがあります。  当時の上智大学に関連して今でも鮮やかに思い出されるのは、大学が奥日光に「かつらぎ館」という宿舎を所有しており、そこで、カナダ御出身の若きロベルジュ神父様が、雪の斜面を颯爽と滑っていく姿です。

 もう一つの学内の部活として所属していたのがESSで、3年次にはESSの部長になっていました。それが契機となって、都内各大学のESSの部長クラスの幹部連中が「日本学生協会」で集合し、読売新聞との共催で「高松宮杯全国中学校弁論大会」を毎年実施していました。(ある時期の筆者の成長や発展の基層を形成するものを「核」と表現してみると、この時期は明らかに「第1の核」と表現できるでしょう。)

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