par hasardをpas à pasで歩む   ンジャイ林恵美子さん(1994年卒)

「こども食堂」のないアフリカに日本が学ぶことは日々増えている
国際協力機構(JICA)国際協力調達部 次長 
ンジャイ林恵美子さん(1994年卒)

上智大学フランス語学科同窓会会報No. 46(2025年8月25日)に抄録を掲載
※掲載内容は発行当時の情報です。

フランス映画に憧れ、日本だけでの暮らしに飽き足らず世界を拠点に働くことを夢見た94年卒フラ語女子は、フランスの大学院卒業後、ILO(国際労働機関)で働くが、ふとしたことからJICA(国際協力機構)のフランス語スペシャリストとしてアフリカを舞台に活躍するようになる。セネガル駐在ではパートナーとも出会い2児の母となる。その後も、ブルキナファソ、マダガスカルとアフリカ駐在を体験。
想定外の人生をひたむきに歩むンジャイ林さんの魅力に迫った。

◆ これまでどんな人生を歩んでいらっしゃったのでしょうか

国際機関で働きたいという夢は中学生の頃からありました。上智大学外国語学部フランス語学科を94年に卒業後、フランスのパリ政治学院(Science-Po)とパリ第一大学政治経済学部(DEA)で学び、 外務省から派遣される「アソシエイトエキスパート」としてILO(国際労働機関)に勤務しました。そこでは、国際労働基準法を尊重した企業行動を促進すべく、多国籍企業の東南アジアの下請け企業の労働実態などを調査しました。皆さんお馴染みのグローバルブランド靴メーカーの下請け工場を調べたりするのです。その後、現場にもっと近いところで働きたいという思いが強まりJICAに入り、フランス語ができたからということもあるのでしょうが、偶然にもアフリカ地域を担当することになりました。大学時代授業を受けた緒方貞子先生とは、ILO時代に、緒方さんがUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の高等弁務官でいらした頃、スイス・ジュネーブでもお会いできました。のちに21世紀になってから緒方さんがJICAの理事長に就任され、その下で勤務出来たこともありがたい偶然でした。JICAでは、男性も女性も関係なく、フェアな人事異動がされていると感じますし、女性が働きやすい福利厚生システムも整っています。生後1年の赤ん坊を連れてマダガスカル赴任を命じられたこともありましたが、笑。

マダガスカルでは港の拡張事業など、経済インフラも支援
1 2 3 4 5 6 7
目次