フランス語学科のルーツを辿る 石澤先生によるリーチ先生の想い出

(2)学生を発奮させた海外研修

今から60年も昔の話になります。上智大学で2年次の講義が終わった1959年の春休みに5名の友人とベトナムとカンボジアへフランス語の研修に出かけました。リーチ先生が当時の南ベトナム(現ベトナム)のフエ(ベトナムの旧都)に在る大学で集中講義をすることになり、私たち学生がそれに同行したのです。ベトナムとカンボジアは、かつてフランス領の植民地でしたので、フランス人がたくさん残って仕事をしていました。リーチ先生が集中講義の報酬をドルで受け取る。それが6名の学生の現地滞在費となりました。私たちは往復船賃だけ都合すればよいと言われました。当時はまだ海外旅行自由化(1964年)前、1ドルが360円の時代です。日本銀行にドルの購入に行った時、外貨を稼ぐことが急務の時代にまだ働いてもいない学生がドルを使うなんて、と日本銀行の担当者に説教される一幕もありました。

横浜からフランス国郵船(貨客船)に乗って南ベトナムのサイゴン(現ホーチミン)港に向かいました。5日間だけの船旅でしたが、観光旅行気分満点でした。サイゴンを経てフエに向かい、リーチ先生が講義をしている間、3週間ほどベトナム人大生とフランス語で交流。そして、再びサイゴンに戻り、プノンペンに入ったのです。一泊したあと、アンコール・ワット近くの町、シェムリアップへ。シェムリアップではカトリック教会に宿泊。リーチ先生の「フランス文化史」の講義の中で、フランスが海外でどのような文化貢献活動をしているか、その事例としてカンボジアに在るフランス極東学院のアンコール遺跡修復活動について、すでに勉強していました。シェムリアップには、4日間滞在しました。その時に見たのが、アンコール・ワットの早朝のご来光でした。65メートルもある中央祠堂の後ろから真っ赤な太陽が地平線から顔を出し、中央祠堂の背面をゆっくりと昇り、祠堂に串差しとなるのです。魂が吸い取られてしまいそうな気がして、背筋がぞくぞくしました。熱帯大樹林と人間の構築物である石造寺院が、こんなにぴったりと溶け込むものなのか。私にとってアンコール・ワットとの出会いの旅が、その後のアンコール・ワット研究の事始めとなったのです。

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