翻訳を志すようになったきっかけは?とりわけ歴史書を数多く訳しておられる理由は?
子育ての傍ら通訳や産業翻訳ばかり手掛けていたのですが、すでに出版翻訳で活躍していた高校時代の友人から誘われて出版翻訳の道に入りました。私には日本語で文体を書き分ける才能がないので文学書は敬遠、でも物語は大好きなので歴史書が向いているようです。
翻訳の仕事をとおして、出逢った歴史上の人物のなかで心に残っているのは?
◇ 時代を経ても変わらずに繰り返す、人間のありかたや悲喜劇について。
特に心に残っているのは、戦象を引き連れてアルプスを越え、ローマ帝国に攻め入ったカルタゴの名将、ハンニバルです。悲劇的な最期を迎えたこともあり、判官贔屓の日本人としては気になる存在です。風雲児や天才が最終的に転落することがままあります。結局は運次第なのかも。ナポレオンは部下の誰かを抜擢するかどうか、最終判断を下すときは決まって、Mais a-t-il de la chance?と周囲の人間に尋ねたそうです。本人も結局は運に見放されましたが。
◇ 実は人災だった、ヨーロッパ最後のペスト流行 - マルセイユの話
コロナ禍で迎えた最初の夏(2020年)、カミュのペストにフランスでも日本でも再び注目が集まりました。ペストつながりで、1720年のマルセイユのペスト大流行について調べてみたところ、悲惨そのものでした。ペスト患者が出た船(グラン・サン・タントワーヌ号)の乗組員や積荷を規定通りに湾内の島に一定期間隔離せず、港の施設に収容したのは、この船に投資していた町の有力者が、積荷(中東から運ばれた布地、これにペストを媒介するノミがついていた)が痛むことを恐れたため。隔離されていた船員たちが、面会に訪れた家族に格子越しに洗濯物等を託したことからたちまち市内にペストが広まり、あとは阿鼻叫喚。町中に死体が積み重なり、腐敗して…。ちなみに、私財をなげうって食糧を配り、危険も顧みずに病人を見舞ったことで有名なベルザンス司教はイエズス会に関係が深い聖職者でした!
◇ シャトーブリアンの「墓場の彼方からの回想」の1832年パリのコレラのこと
この夏には、大学時代にリーチ先生の授業で読んだシャトーブリアンの「墓場の彼方からの回想」(抜粋)を約50年ぶりに引っ張り出したのですが、1822年のコレラ大流行の描写がありました。塩素(この頃は、塩素で消毒する、という概念がすでに広がっていたのですね)の臭いが立ち込めるパリの通りを、棺桶を運ぶ馬車がひっきりなしに通っているのに、子供たちは「コレラ遊び」に興じ、酒場に酔っ払いが入り浸っている、といういびつな光景です。日本は島国であるうえ、鎖国していたので大きな疫病の流行を免れたのだな、と思います。
『酔っ払いが変えた世界史』は、朝日新聞にも書評が掲載されましたね!
2021年の夏に出た『酔っ払いが変えた世界史』の原著のことは、ネットでフランスの書評番組を観て知りました。面白そうだな、と思ったのでフランス著作権事務所に頼んでPDFを送ってもらい読んだところ、本当に面白かったので原書房に私から提案しました。猿人のルーシーに始まり、エリツィン大統領まで、酒と人間にまつわる愉快なエピソードが満載です。半分冗談のような本ですが、フランス人らしい皮肉が効いています。日露戦争も出てくるし、日ソ中立条約を結んだ松岡外相も登場します。高校時代からの友人二人と共訳したのですが、なんと三人ともまったくの下戸です!