ボルドーホームステイとパリ生活での食体験
卒後40年経った今でもなお、ボルドーワインの香りは、穏やかな食の光景の数々を思い起こさせてくれる。
ロベルジュ先生率いるヨーロッパ旅行中、2週間ボルドーに滞在、ホームステイでフランス人がいかに食に情熱をかけるかを知った。
週末のランチにお隣のマダム1人を招待するにも夫婦揃って準備に余念がない。パピィは丁寧にサラダのドレッシングを作り、鶏 1 羽を黄金色にローストしジャガイモをフリットに、マミィはマルシェで買ったばかりのフランボワーズでタルトを焼き上げる。私のお役目は、スーパーに行き、空の 1.8リットル瓶(おぼろげな記憶で1.5フラン)を赤ワインで満たしてくることであった。
ボルドー市郊外の親戚宅では、庭で捕まえたラパンの毛を剥ぎ(子供の洋服を脱がせるようにスポッと剥がせる)、何時間もかけて 1 匹 1 匹つかまえたエスカルゴをぬめりが完全になくなるまで5~6回、徹底的にお湯を換えて湯掻いた。缶詰のエスカルゴしか知らない身には驚愕であった。ほぼ半日がかりの仕事のご褒美として、ハーブ詰めラパンの丸焼きとエスカルゴのオーブン焼き、飲み放題のワインが並ぶ至福の食卓が待っていた。
その一方、遠足ならバゲットまる 1 本、カマンベール1箱、ソシソン1本、りんご1個と、素材そのままが渡された。この極めてシンプルなランチボックスが野外で味わうとご馳走に変身した。隣人をアペリティフに招くなら、好きな飲みものにオリーブやナッツでもあれば充分、求められるのは社交性とウィットに富む会話力である。
卒業後パリ勤務の一年間には、食材の宝庫、マルシェでの買い出しがなによりの楽しみだった。
カラフルで味の濃い野菜、その場でカットしてくれる肉、知り尽くせない種類のチーズに焼きたてのバゲット、馴染みの店主との会話がパリの都会生活を彩った。週末にはPot au Feuという料理学校に通った。
ボルドーでの食体験が原点となり、帰国後フランス産の農産物や食品の輸出促進を図る機関で勤務、現在に至っている。
食の無形文化遺産としてのフランス流アール・ド・ヴィーヴル
フランスの食文化は 2010 年、ユネスコの食の無形文化遺産に登録された。地中海料理、トルコのケシケチ のように特定の料理や産物登録が多い中で「フランスの食のスタイル」が登録されたことが特筆すべきである。
質の高い素材から生まれる料理、ワインとのマリアージュ、テーブルセッテングなど、アペリティフからデザートに至る料理の供し方の一連のスタイル、アール・ド・ヴィーヴルArt de vivre が評価された。
食卓を囲んで和気藹々とゆったりとひと時を過ごすことは、世代から世代に受け継がれているフランス人の大切な習慣である。和食が世界遺産登録を目指すにあたっては最初からこのフランスのスタイルがモデルとされた。AOC(原産地統制名称)、 IG(地理的表示制度)を参考にしたワインや食品の法律など 食の分野の先駆者としてフランスは日本の数々のお手本とされてきた。
フランスは食料自給率が 120% を超え(カロリーベース)、EU首位の生産額の農産品がフランス人の舌と胃袋を堅固に支えている。
しかし今日、フランスでさえも食のグローバル化や均一化の波にさらされ、その文化的遺産とも言うべきガストロノミーが危機にさらされている。ユネスコに無形文化遺産の要望を出したのはフランス政府がフランス人自身に対して注意を喚起し、食に対する関心を取り戻すためでもあったと言う。
フランス国内ワインの消費量も減少、日本では長年不動であったワイン輸入量トップの座を 2015年度チリに明け渡しその後首位を奪還できずにいるなど、フランスももはや安穏とはしていられない。
日本語訳が極めて難しい Terroir というフランス語がある。 単に気象や土壌を指すと誤解されがちだが、大地、空気、水、植物があり、そこに関与する人間の仕事までをも含む。同じブドウ品種を異なる土壌に植えても決して同じワインは造れない。
フランスのテロワールとその叡智が生み出すワインや産物、そしてフランス流アール・ド・ヴィーヴルは、世の中がどんなに目まぐるしく変わろうともこれからも日本や世界の人々の五感を刺激し、魅了し続けていくに違いない。
引間 直子 (ひきま なおこ) さんのプロフィール
フランス語学科 1980年卒業。
SOPEXA に 1990 年入社、現在に至る。
SOPEXA http://www.sopexa.com
フランス産の農産物や食品の存在価値を高め輸出促進を図ることを目的に設立された機関、 現在は世界の食品飲料の広報販促を展開。