再掲にあたって(2022年8月)
菅佳夫さんの2020年8月のご逝去から、もう2年になります。
フランスソフィア会の会長として、フラ語卒業生だけでなく、来仏するソフィアン、在フランス日本人コミュニティ皆の世話をよくされた菅さん。
本当に惜しい方が逝ってしまわれて、菅さんのことをよく考えます。あーこういう時、菅さんがいらしたらなーと。
Madame Kan マキノさんも、最愛のご伴侶を追って、翌2021年4月に帰天されました。
菅さんの魅力
ラ・パリスの自明の理ではないけれど、人は誰でも、死の寸前まで 生きていたわけだから、菅さんにしても、亡くなる直前までは生きていた、、、とはいえ、(2020年)8月22日 風間さんから、 「お早うございます。先ほどPCを開いて、秀彦氏からの衝撃的なメールを発見しましたが信じられません。とり急ぎ事実関係をご確認ください。とり急ぎ。風間 烈」 、それに続いて、その秀彦氏、つまり菅さんのご長男からのフランス語での、お父上の訃報が伝達されている。
えええ、そんな!文字通り青天の霹靂、あまりに衝撃的な通告でした。
その数日前、8月13日 菅さんから「私の回想、記憶の限り、、」「飛行機と私」が届き、それに続いて18日の22時23分 には 「 我が外仏同級生、お茶の水博士、南仏ジャック、本名高洲若久に今朝電話してみました。皆様にはくれぐれもよろしくとのこと、 お茶の水博士はお元気です 」。
同じ18日 23時04分 「お暑い中を如何お過ごしですか、、、フランス通信178号をお届けしますので、よろしくお願い致します。暑さとコロナにお気をつけて、引き続きお元気にお過ごし下さい。菅 佳夫 」
以上のお元気そのものの通信を受け取っているのです!
そこですぐさま菅夫人マキノさんにお電話したところ、ほとんど陽気な声で、なんか、今日突然居なくなっちゃたのよ、と。続けて 「マキノさんは、全く元気 ピンピンしてますから、皆さんにそうお伝えください」
滞仏半世紀の菅さん、となればそれはもうどうしても在仏日本人にとってのボス、顔です。私たちの間でも会長、親ガモ、村長、その時々によって呼び方が異なるけれど、どこからどう見てもリーダー格で、そのことに異存を唱える人はいないと思いますから、 今更菅さんの長所やら人徳やらを論うつもりはありません。
それでもこの際、私が強調しておきたいことがあります。
菅さんの人間として最も魅力的なところ、それは 人生の伴侶として牧野真子さんという女性を選ばれたこと、そして奥様と小さなお子さんを連れて生活の場としてフランスを選んだこと、と私は思います。この二つは実は同じところに根を持っていて、愛するマキノさんの要望に応えて、フランスを終の住処として選ばれた、ということです。マキノさんという女性は、ウイットに富み打てば響くような反応、服従を美徳とする大和撫子から程遠く、はっきりご自分の意見を主張される実にモダーンな個性的な方。その上超美人でお洒落で繊細。社会に出て仕事バリバリ、という女性でなくても、大方の女性顔負けの自立した意識の持ち主。上智史学科卒でフランスの歴史小説が何よりお好き。アレキサンドル・デュマ の三銃士のことなら誰にも負けない知識の持ち主。また手仕事に優れて、縫製も編み物もプロ級。心密かに惚れ込んでいた菅さんが、フラ研の蘊奥とも言える語劇祭での衣装係に抜擢しただけでなく、ご自身のご伴侶に抜擢。菅さんは1963年卒業とともにAF東京支社に就職、1968年末、パリ駐在員の社内募集に応募。上司は「フランス語も出来る、既に上級職員である君が何故? 何か不満でも?」と首を傾げられたそうですが、なんとこれはマキノさん曰く「悪い女房の仕業」、彼女に後押しされてのフランス行きだったのです。こういう強い意志のユニークな女性を人生の伴侶とされた日本男子菅さん万歳!
気真面目で 羽目を外すことなく正統なモラルに裏打ちされたような紳士、けれども菅さんの本当の魅力は、リーチ神父様のinitiationで鍛えられ、マキノさんという女性を選び生涯慈しんだそのamourに培われた自由で豊かな器と根底を流れるヒューマニスムと思います。
菅さんは、病身のマキノさんを置いて先に逝けない、と思っていらしたようですが、蚊トンボのように痩せられてるマキノさん曰く: 自分が先に逝かなくて本当に良かった、私が先に逝っちゃったら、彼、困ったでしょう!と。
あまりに唐突に逝ってしまった菅さん、さようならもありがとうもいう暇なかったけれど、先輩の菅さんを私たちはみんな誇りに思い、いつまでも鼻を高くして語り続けることでしょう。
ジュフロワ (小島)總子(1967年卒)