石澤良昭教授 記念講演会「なぜフランス語か」(1)初めてのカンボジア -フランス極東学院から学んだ「アジア研究」

1961年カトリック教会で。ベトナム人のリン神父さん。右端が若き日の石澤先生

私は神父さんの隣に部屋をもらって住んでいましたので、朝はベトナム語の讃美歌で目を覚ましておりました。
ベトナムの人々はメコン川を遡って魚を捕り、干し魚を作って生活しており、干し魚は北アフリカへ輸出されます。ベトナム人にはカトリックの人が多く、信者さんたちが毎朝、土曜、日曜と御ミサにあずかるために集まってきます。カンボジア人は一人もいません。

フランス(パリ)の東洋語学校(Langues O)での出会い 習得したフランス語を使って第 3 と第 4 の言語へ 

そんなことからフランス語を勉強し、また、1982 年から 学術研究院第四部門の招聘研究者として2 年間フランスに滞在したときに東洋語学校(現・フランス国立東洋言語文化学院 INALCO)に通いました。現地カンボジアでは会話は学べたのですが、やはりフランス語と同じように系統立ててきちんと学びたいと思いまして、Langues Oで現代カンボジア語を再履修したのです。カンボジア語の完全な形を、書きながら、読みながら、話しながら、という講座で週に3回、6時半から9時半まで学び、そのあと食事をして帰る、そのような生活を2年続けました。

当時、フランスでたくさんの友だちができましたが、それはLangues Oに通っている学生さんたちなのです。
早めに学校に行って辞書を見たり復習したりしていると、日本語科の学生さんがやってきて、「先生はいつもいるけれども、日本人か?」「そうだ」「ちょっと教えてくれ」というのです。徒然草を持ってきて、「今日は順番でここが当たるのだが、この部分をフランス語にしてくれ」と言われて、びっくりしました。

毎週会うので、たまにはコーヒーでも飲もうと言って、授業後コーヒーを飲みながらいっしょに話すようになりました。「なぜあなたは日本語をやるの?」と聞きましたら、「先生、日本語をやることは大変重要なことです。なぜならば自分は世界文学を専攻しようと思っている。いろいろな国の文学を専攻するために日本語を学んでいる」と。
「矛盾するのではないか? 世界文学をやるのならば、その国の言葉を学ぶ必要があるのでは?」
「いや、それは違います。日本語をしっかり学ぶことで、日本で出版されているロシア文学、イギリス文学、アメリカ、中国、日本……全部、日本語で読むことができます。日本語1カ国語を勉強することで、ほんとうに世界が広がる。自分はその道に進んで頑張りたい」
ということだったのです。

そう考えていくと、「ああそうか。しっかりフランス語を学ぶことで、別の言語についても学ぶことができるのではないだろうか」という可能性を知ったわけです。フランス語を使ってヨーロッパの少数民族の言語と歴史と文化を学ぶ「知的交流」の可能性が開かれるのです。

LanguesO (INALCO)の歴史散歩 >こちらから https://www.inalco.fr/flaneries-dans-lhistoire-de-linalco

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