石澤良昭教授 記念講演会「なぜフランス語か」 (2)フランス極東学院によるアンコール・ワットの研究

アンコール・ワット大伽藍の秘密を解明する研究の始まり

アンコール・ワットを見た宣教師を含むヨーロッパ人のあいだで、16世紀の初めに「アンコール・ワットの大伽藍を誰が造営したのか?」という疑問が湧いたようですね。最初は「アレキサンダー大王が造ったのでは?」という仮説があったのです。その時点でアレキサンダー大王にも興味が湧きましたし、その時代の言葉がマケドニア語なのです。世界のつながり、言葉でつながる、マケドニア語をしっかり押さえることはとてもおもしろい。

ところが、1860年の段階では、アンコール・ワットの歴史に関しては何もわからなかったのです。なぜ何もわからなかったかというと、アンコール時代 ー802年から1431年まで、約600年に渡って続いた王朝ですがー その王朝の事始めからの歴史は全部、ラタニアヤシの葉をなめして乾かして平らに延ばした「貝葉(ばいよう)」という媒体に書いてありました。インドから伝わった経典も全てヤシの葉に書いてあったのです。

貝葉は植物の葉なので、100年から150年で全部書き換えなければならない。新たに書き直さなければ、乾いて粉々になって字も何もなくなってしまう、消滅してしまうのです。「写経」の原理というのはそういうところから出ているのですね。
アンコールの歴史についても何もわからず、いろいろな人がいろいろな説を唱えてきました。

ダムロンラーチャーヌパープ王子(タイのラーマ5世の異母弟、中央)とアンコール・ワットを訪問したジョルジュ・セデス教授 (左から4人め)(1924年) © Wikimedia Commons
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