国際政治に翻弄されるカンボジア・ベトナム、ラオス
ベトナムでは 1960 年代後半から南北両政府軍の衝突がはじまり、ボート・ピープルと呼ばれた難民が国外に逃れてきました。カンボジアでは 1970 年から隣国のベトナム戦争のあおりを受けて、政治の大混乱がはじまりました。次のポル・ポト政権下(1975 〜1979 年)では約 150 万以上にのぼる知識人の大虐殺がありました。
加えて国内の混乱から数十万人のカンボジア人難民がタイ国境に逃れてきました。
日本・オーストラリア・インドネシアなどは水面下でカンボジア和平交渉を働きかけ、1992 年の「国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC アンタック)」を通じて、平和維持活動(PKO)が成功しました。カンボジア和平は日本外交史上の快挙でありました。
そしてカンボジアは 1993 年から再び王国として再出発したのです。