石澤良昭教授 記念講演会「なぜフランス語か」 (4)「最初の井戸を掘ったソフィア・ミッション」(上智大学国際奉仕活動) 文化復興のための遺跡救済

遺跡修復支援の「アンコール・ワット救済」 - 新しい専門人材の養成へ


私どもも、ピタウ先生のあとを継いでカンボジア現地で活動を開始しました。それは1960年代にP.リーチ先生と一緒に行ったカンボジアで知り合った、遺跡保存官conservateursがきっかけでした。

私は1960年から何度か、アルバイトをしながらお金ができるとカンボジアへ通い、50名近くいた保存官たちを訪ね、フランス語で教えを受けながらアンコール研究の手法を学んでおりました。その人たちが、ポル・ポトによって「フランス語という外国語に汚染されているからダメだ」とされて、生きて帰ってきた3名を除いて全員が行方不明になってしまったのです。
ポル・ポト政権(1975-1979)下で虐殺されたカンボジア人は、約 200 万人にのぼるといわれています。

内戦で遺跡にまったく手をつけられなかった年月が23年ありました。そのあいだ、このように遺跡に植物が生えて、密林の太陽と雨と樹木が遺跡を崩壊させてしまうのです。

文化復興のため遺跡救済を掲げたソフィア・ミッション(国際奉仕活動)

14 年間の内戦で傷つき、失意のカンボジアの人達を慰め、和解してもらうため、だれもが崇拝する「アンコール・ワット」修復現場を採りあげました。

「行方不明の保存官たちの御霊の無念にこたえて新しい保存官を養成していこう」と、「カンボジア人による、カンボジアのための遺跡修復支援“ By the Cambodians, for the Cambodians”」を活動の方針に掲げました。

カンボジア人の手で修復ができるように、私たち上智大学アンコール遺跡国際調査団は、カンボジア和平前の1991 年からカンボジア人の「保存官」養成のため現地に入り、カンボジア人の王立芸術大学の考古学と建築学の学生30数名の訓練と、石材加工ができる「石工」の育成を遺跡現場において開始したのです。


上智大学国際調査団の日本人教授陣は、ポル・ポト時代の知識人虐殺のため教授陣がいなくなった王立芸術大学(プノンペン)において集中講義を実施しました(期間:1991 年-2001 年)。受講した学生は、のべ約 2,800 名に及びました。
また、近くの村から来た若者たちを一人前の石工加工者とするために、8 年かかって石ノミの扱い方から、技術を教え込みました。

また、保存官候補の学位取得プロジェクトにおいては、カンボジア人留学生 18名が上智大学大学院(地域研究専攻)に留学生入学し、1997 年から 2016 年までに18名が学位を取得(博士学位 7 名、修士学位 11 名)、学位請求論文を提出しました。
学位取得後は全員がカンボジアに帰国し、現在、王国政府の幹部として頑張っています。

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