民族の誇りを取り戻してもらうために続けた保存官養成
カンボジア人は持って生まれた民族の天性としての器用さがあります。
たとえば私が「石をここに置いて」と言いますと、「先生、ちょっと待って、こういうふうに置いたほうが良い」というのです。「ああ、それは良いね!」ということになったりします。
そういう意味では民族的な天性があるのかなと褒め称えております。
このように器用さのあるカンボジアの人たちなのですが、フランス植民時代には穴掘人夫とされて、決して自分たちの手で遺跡を直したり触れることはできませんでした。1953年の独立以来、15年ほどかかってようやく自前で遺跡保存をできる人材養成をしてきたところが、ポル・ポトによって全滅。
修復をするカンボジア人40数名がポル・ポト時代にいなくなってしまったわけですから、ピタウ先生の「困っている人たちの前を黙って通り過ぎない」という趣旨による難民救済の後継として、わたしたち上智大学は遺跡の救済をしながら、民族の誇りを取り戻してもらうための活動を続けてきました。
新しい保存官の人材養成に33年かかりました。高等学校・中学校で充分な数学を学んでこなかったカンボジア人の保存官候補者たちに技術指導をするのですから、時間もかかります。例えば、上に何トンの石が載って、何トンの石が支えるという、そういう構造力学の授業は、日本の先生が手取り足取り指導をして、重い石を載せている柱の耐久性をしっかり見て作るということを教えていきました。
ただ私たちは大学ですから、何年かかろうとも、先生方も学生さんたちも、教育という点、ものを知るという点で、時間を気にせずに納得できるまで続けて取り組むわけです。
当時はヘン・サムリン政権がベトナムの「傀儡政権」の時代で(その後ベトナムは引き上げますから「傀儡」ではなくなっていったわけですが)誰も助けてくれなかった、そんな時代に上智大学は専門家を派遣して人材養成を始めたのでした。
1992 年、故シハヌーク前国王はパリのユネスコの国際会議で、
「最初に井戸を掘った人を忘れてはいけない」
と発言されました。
内戦が収まらず、多くの国がカンボジアに背を向けている時に、「最初にカンボジアに来てくれて、人材養成を開始した東京の上智大学の活動を忘れないでいる」というお言葉でした。それが現在まで私たちの大きな支えとなっています。
この最初に井戸を掘った人の件、1998年にユネスコ事務総長がカンボジアのアンコール視察に来たときフンセン首相が同じ文言で事務総長に急ぐよう求めました。