余談ですが、博物館建設費用の「全額」は大変な額になるわけです。それを上智大学への寄付として受け取ろうとしたところ、文科省から横槍が入って「イオンからの援助をもらったら文科省からの援助を削ります」という通知があったのです。「毎年どのぐらいなら良いのですか?」と聞くと「2999万9999円までならばよろしい」ということで、総額20数億円のイオンからの寄金を年間限度額内で小刻みにいただくようにして、シハヌーク・イオン博物館を作りました。
もうひとつの後日談としては、私どもと岡田さんと何人かでフン・セン首相(当時)に会いましたら、博物館の名称に関して、最初は「イオン博物館でよろしい」ということだったのですね。ところが、やはり「博物館・文化財の最高責任者は王様である。シハヌーク国王の名前を冠するように」という注文が入りました。
王室がずっと続いていて伝統があり、国の最高責任者は王室である。王様の名前の入らない博物館というのは非常に残念であると鋭い反発があったようです。療養のため北京に滞在していたシハヌークさんを2度訪ねたり、調整をして、最終的に「シハヌーク・イオン博物館 Preah Norodom Shihanouk-Angkor Museum」という名称となった経緯がありました。
(つづく)