高橋暁生先生に聞く「フランス語学科のいま」イベントの全文

フランス語学科同窓会主催 オンラインイベント 2011年11月13日(土)Zoom開催 

抄録記事はこちらからご覧ください。(抄録記事は 2月25日に公開します。)

司会 舟橋 (同窓会企画担当)  皆さんこんばんは、こんにちはの方もいらっしゃるかもしれません。本日はフランス語学科同窓会主催のオンラインイベントにお越しくださいまして、ありがとうございます。
本日この会のファシリテーターを務めさせていただきます、同窓会企画担当03年入学08年卒業の舟橋加奈子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

同窓会のイベント、今回現役の学生の皆さんとか学科の先生がたにもお声がけをさせていただいています。
日本のいろんな場所から、また海外からご参加の方もいらっしゃると思います。上智大学フランス語学科という共通点で、今ここに皆さんが集っています。
一緒に楽しい時間を過ごせたらと思ってます。手作りのイベントで至らない点もあるかもしれませんけれども、ぜひそれも含めてお楽しみください。今日は運営スタッフとして、同じく同窓会で役員をやっております安百合子さん。そして「さっちゃん」でおなじみの田中幸子さんがサポートしてくださっています。

本日のイベントなんですけれども、記録のため録画をさせていただいてます。
Webの環境でやってますので途中で落ちてしまった方とか、いらっしゃるかもしれないんですけれども、慌てずまた入り直していただけますのでまた戻ってきてください。会が進むに連れて、進行上気になる雑音とか、もしあった場合にこちらからミュートさせていただくことがあるかもしれないのでそれはあらかじめご了承ください。

でも、基本的に皆さんの笑い声とか反応とかそんなのはウェルカムですのでぜひリラックスして参加していただければと思います。では、まず同窓会の会長の鍋島さんから簡単に開会の一言だけいただければと思います。

鍋島    同窓会会長の鍋島です。よろしくお願いいたします。高橋先生 私も、もう十数年前から同窓会の関係でずっと知ってはいるのですけれども、なかなか話す機会もなくて、高橋先生の授業を受けたことない方は、どんなことをされてるのか、興味があります。どういう授業をしているのかなど、この機会にいろいろ聞いて、質問等ありましたら是非ともしていただきたいと思います。楽しい会にしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

目次

出演者紹介

司会 ありがとうございました。同窓会、毎年秋に一つイベントをやってるんですけど、そのイベントが今日なんです。ゲストに、フランス語学科で現役で教鞭をとってらっしゃる高橋暁生先生。先生の魅力を引き出していただくゲストインタビュアーに大六野礼子さん、中山舞さん、そして松澤オレリアン雅樹さんこのお三方をお迎えしています。
松澤さんはちょっとお仕事の仕事の都合上で途中で抜けなきゃいけないとのことなのでちょっと冒頭ご一緒いただくということになってます。どうぞご了承ください。

会に今お集まりの皆さん、どういう方が今いらっしゃってるのかっていうのをちょっとお伺いしたいと思います。カメラONの方 手挙げで、手挙げるの恥ずかしいって方はZoomの下のボタンのリアクションってニコニコマークで何か出してください。

手元にリアクションボタンで教えていただければと思うんですけれども、当てはまるところに反応いただければと思います。
今日お集まりの方で、現役の学生の方、どれぐらいいらっしゃるでしょうか。何人かいらっしゃいますね。
数名いらっしゃいますね。ありがとうございます。

では同窓生の中で高橋先生に教えてもらった方、あるいは先生が教えてる時代に在学している方は、どれぐらいいらっしゃいますか。手振り合ってるような感じで、はいありがとうございます。いっぱいいらっしゃいました。

では最後に卒業生で高橋先生には教えてもらったことがなくて、今日初めて高橋先生と出会いましたという方、どのくらいいらっしゃるでしょうか?こっちの方が多いかもしれないですね。ここが一番多いかもしれません。

いろんな方いらっしゃいますね、反応いただいてありがとうございます。
いずれにしろ今日は皆さんと新しい思い出が作れるんじゃないかなと思います。

お手元にですね飲み物とか食べ物置いていただいて、つまみながら飲みながらフラ語の雰囲気を楽しんでいきましょう。

本日のアジェンダ / 出演者紹介

そして、今日のアジェンダです。冒頭にゲストの方々の自己紹介から始まり、その後からトークインタビュー、これは三つのテーマを切り口にしながら、そこから広がっていくトーク。そんなふうにお楽しみいただければと思っております。
最後に皆さんから質問をお受けする時間ももしあれば取りたいなというふうに思ってますので、ぜひお声の準備はしておいてください。はい。こんなアジェンダで1時間半後と限られた時間ではありますけれども、一緒に過ごしていきたいと思います。
では早速、本日のゲストのお声を伺っていきたいと思います。
フラ語に着任してもう15年になられるでしょうか 今年度はサバティカル中の高橋先生です。皆さん拍手でお迎えください。高橋先生よろしくお願いします。

自己紹介 高橋暁生先生

高橋 舟橋さんありがとうございます。皆さんお集まりいただきまして大変恐縮しています。高橋暁生です。

初めての方も今おられるということでしたし、画面見てると、苗字変わってるんだけど、お顔見せてくれたおかげで、卒業以来、あの顔見てない人、そういう人たちもいて大変嬉しく思いますが、同時に非常に緊張しております。よろしくお願いします。何とかせっかくの土曜日を楽しんでもらえるようにしていきたいと思います。

改めまして高橋暁生といいます。フランス語学科の教員で、赴任したのが2007年度の4月からなので、15年目になるのかな。15年迎えたという形だと思います。

もちろんフランス教えてますけれども、専門は僕歴史家なのでフランスの歴史を専門に教えてます。皆さんご存知だと思うんですけど、フランス語学科というのはフランス語を教えつつ、各教員が専門を持ってるわけですけど、僕の場合それが歴史学であるということになるわけです。

フランス近現代史が専門だというふうに一応言ってますけども、フランス革命について長く研究をしてきました。

近年は、フランスの植民地の問題に少し話を広げて研究をしています。まさに今年サバティカルで、当然もう何年も前から楽しみにしてきたんですけども、とりわけ今年の5月6月にフランスでいろいろシンポジウムとか、国際研究集会とかいうのを計画しててそこに参加できると思っていたわけですけど、全部なしになりました。そもそも前半は、大学が渡航を禁止してたわけなんで、行けませんでしたし、今は行っていい形になってるんですけど、ちょっとまた別な事情があってちょっと行けなくなっていて、今年度中に行ければいいなと、年明けに行ければいいなぐらいの感じでいます。

ただ歴史学の場合、資料があればなんとか自宅で研究もできるので、今はかなりデジタル化が進んでいて、かつてだったら、文書館とかに行かないと手に入らなかった資料がデジタル化して、買えたりすることもあるし、ただダウンロードしたりすることもできるし、という状態なので、そういったものを使いながら、もうほとんど一日じゅう、研究室に行くことはあまりないかな、自宅の書斎にこもって研究をしているという毎日です。
そのくらい?何、趣味?

趣味って言ってもですね、本当にずっと研究してる感じなんですけど、コーヒーが好きだったり、最近お香にはまってたり、とんかつ屋巡りが好きだったり、そんなとこかな。

映画とかよく見に行きますし、本読むのも好きですけど、時々長野県のほうの山小屋に行ったりして薪割りをしたり、っていうことかな。そんな感じで過ごしています。はい。よろしくお願いします。

司会 はい、ありがとうございます。今日は1時間半を通して、高橋先生のことをたくさん知れるんじゃないかなとより立体的になるんじゃないかなと思っております。よろしくお願いします。
では次にゲストインタビューのお三方、お呼びしたいと思います。
大六野礼子さん、中山舞さん、松澤オレリアン雅樹さんです。皆さん拍手でお迎えください。

自己紹介  ゲストインタビューアー

大六野礼子 はい。皆さんこんばんは。2007年に入学して2012年に卒業しました大六野礼子と申します。よろしくお願いします。私は今仕事としてはフランス語の翻訳通訳を美術周りでやっていて、芸術祭のコーディネーターであったり、映画の現場通訳であったり、写真集の話があったらそれのフランス語の訳をやったりとか、ふらふらとフランスと美術の中で、仕事をフリーランスとしてやっています。

元々フランス育ちでアルザスのストラスブールで育って、高校で帰ってきて上智に入りました。そうですね、ストラスブール育ちだったので留学はやっぱりパリに行きたいなと思っていて。地方都市で育ったので、美術の一番メインのところに行きたいなと思っていて、どこの大学に交換留学に行こうかなって悩んでいたときに暁生先生にものすごくたくさん相談に乗っていただいて、Science Po Parisに行くか、Paris 10に行くかすごく迷って、暁生先生に「君は芸術の道にもっと進むべきだ」みたいに、すごいプッシュしていただいたりとか、いつも応援していただいて、帰ってきた後もずっと、なぜか私が最初血迷って金融に入ったんですけど、金融の仕事をしながらやっぱり美術の仕事がしたいとか泣き言を言ってるときも、先生に相談に乗っていただいたりとかして、ピンポイントの思い出ってよりも、人生単位で常に迷走していて、そのときそのときで暁生先生が応援してくださるような、そういう感じです。

きっと、皆さんも暁生先生にそうやってすごく応援してもらったと思うんですけど。そうですね、「暁生チルドレン」のひとりです。よろしくお願いします。

司会 ありがとうございます。「暁生チルドレン」っていう言葉があるんですね。

大六野 ちょっと気に入っている言葉です。

司会 そうなんですか、それぐらい応援してくださってるっていうところにもね、何か伝わるものがありましたよね。大六野さん今日よろしくお願いしますします。次に中山舞さん、お願いします。

中山舞 はい。よろしくお願いします。皆さん こんにちは、あるいはこんばんはですかね、中山舞です。2007年入学の2012年卒業で、礼子と同級生です。私6年前ぐらいからフランスに来ているんですけれども、今やっている仕事はフランスの会社で日本人が経営しているところなんですけれども、日本の伝統的工芸品であったりとか、あるいは中小の企業のメーカーさんが作った商品をフランスに持ち込んで、フランスの市場でどうやって売っていくかっていうようなお手伝いをすることをしている会社で、そこの一応統括リーダーみたいな感じで働いています。

最初にフランス来たときは大学院に入り直すために来たんですけれども、最初の学部の留学のときから、そのあと就職して、東京でやっぱりちょっと留学しようかなとか言い始めたときから、その後、じゃどこに行ってどうするんだみたいな話も、礼子と同じで、ずっと暁生先生に話聞いていただいて、相談させていただいて、なんか時間作って外でご飯食べさせていただいたりとか、そういうことをして今に至るっていう感じで。
もうなんかずっとお世話になってるんで、今日は本当にこうやって久々に直接お話できて嬉しいなと思っております。よろしくお願いします。
司会 人生の中に高橋先生がいらっしゃるんですね。はい。中山さん、よろしくお願いします。次 松澤さんお願いします。

松澤オレリアン雅樹 はい、皆さんこんにちは、こんばんは、松澤オレリアン雅樹と申します。私は2009年に上智に入学しまして2013年に卒業しました。

今の仕事なんですが、大学卒業してすぐに、航空会社に就職して、7年ほど勤めていたんですけれども、子供の頃からずっと夢を見ていたパイロットっていう仕事に憧れ続け、昨年転職しまして、また別の航空会社で、今パイロット訓練生として、ノルウェーで訓練をしているところでございます。年は30なんですけど「訓練生」という、非常にあれなんですけど、暁生先生からOKサインもらったので、よしと。そうですね。今年の1月からノルウェーに来て今勉強しています。

暁生先生とのエピソードなんですけれども、もうありすぎてなかなか出せないんですが、皆さんのお話を聞いていて、僕もそうだなあと思っていました。学部でもそうなんですけども、実際に大学のときには人間関係ですとか将来何をしていくべきなのかっていうことで、いろいろこうお話をお伺いしたり、相談にのってもらったりしていた。

あとは就活をするタイミングでは実際に、「飛行機しか見てないけど、もっと雅樹くんに向いている道があるんじゃないか、もっと広い視野でいろいろ見てみなさい」ということで暁生先生のアドバイスをいただいたりして、いろいろ見てみたんですが、それがあったおかげで、実際に幅広く見た上で、自分はやっぱり飛行機に携わりたいなとほんとうに納得して、今の自分があるなっていうふうに思っています。
卒業後も、ベルギービール屋でいろいろそういうことをお話をさせていただいたり、急に研究室にお邪魔してちょっかい出させていただいているところでございます。今日は、どうぞよろしくお願いします。

司会 ありがとうございます。松澤さんも何か節目節目に高橋先生と過ごされてきたんだなっていうふうに感じます。ありがとうございます。今日はこちらのゲストの皆さんと過ごしていきます。
ではこれからメインパートのトークインタビューに入っていきます。テーマを三つ区切りながら、そこから派生する話を楽しんでいくというところで、まずその1のところからいきたいと思います。最初のテーマ、皆さん思い出を話していただきましたけれども、先生って学生さんとの繋がりを大切にされてるんだなというふうに思います。

テーマ1 高橋先生と学生の繋がり

司会 これまで、今の繋がり、これからの繋がり、もしかしたら派生して思い起こしていくことがあるかもしれないんですけれども、こんな話題から皆さんに話し始めていただければと思います。

まずは高橋先生に振ってみたいと思うんですけれども、今お三方から先生との思い出をお話しいただきました。まさにいっぱい話してた頃って、今から10年前とかかなというふうに思います。エピソードを聞いて思い出すこと、今、時間が経ってみて、今の状況との違いなど何か思い起こされることもあるかと思いますけれども、こんなところから皆さんに話し始めていただければと思います。高橋先生どうでしょうか?

エネルギーもらえるのが楽しくて、15年

高橋 そうですね、ありがとうございます。あの3人の人たちも。基本的に前提としてですけど、その何か舟橋さんがいろいろ持ち上げてくださいですけど、もう「お世話した」ということではなくてやっぱり結局好きなんでしょうけど、学生と接するのが。なぜ好きかっていうと、結局ひとりひとりの性格もちろん違うし、見てるものも違うし、それぞれと交流することが本当に自分にとってはただただ楽しくて、学生がただただ可愛くてっていうので、本当にいろんな学生と話をして、たまたま僕の方が少し-というか結構もうかなりですけど-生きてるっていうこともあって、それからいろんな学生から話聞いてるから、こういうケースがあったよとか、こんなふうな形でやった人がいるよ、っていうことも言えたりできるようになってきたりして、交流しているうちにそういう中で一人一人が自分の道見つけていくっていうようなプロセスを見て、こっちがさらにそれで楽しいっていう、そういう何かプロセスできたのかな。
先ほど雅樹くんも言ってましたけど、本当にもう、お前はアホかっていうぐらいに、もうとにかくパイロットパイロットって学生時代から言ってて、いろいろもう少しっていうね、アドバイスしたこともありましたけど、いろいろ紆余曲折ありながらですよ、決してストレートに行ってるわけじゃないんだけれど、今、パイロットの訓練生としてノルウェーで頑張ってるっていうね、齢30にして何の問題もないと思いますけど、本当に素晴らしいと思うし、そういうのを聞くと、僕が何より嬉しいわけですよね。うわーすげえなとか、なんてすごいんだろうとか、なんかそれから僕自身が勇気もらったり力もらったりして、それが楽しいからやってるっていう。

ひとりひとりとのエピソード、舞さん、礼子さんにせよ、あの今言われて思い出したこともありますけど、本当にそういう形で、それぞれとやりとりしてきて、そこから僕自身がエネルギーもらえてるのが楽しくて、15年やってきたなという気がしますね。だから、本当にこの舞さんとか礼子さんというのは、やっぱりあの07の人たちで、今日他にも、名前見て、おおー来てるじゃんとか、来てくれたんだとかってのありますけど、その人たちそれぞれのエピソードがやっぱりあって、名前見るとぱーっと浮かぶわけですね。ひとりひとりとのエピソードが。やっぱり07、特に07以降ですけどそれ以前も、僕が2007年に赴任したときにもういた2006年次生とか2005年次生とかも2004次生とかもいたんですよね、交流したことを覚えている人がいるんですけど。だからそういうところから僕自身がたくさんもらってきて楽しいから、さらに新しい学年の学生たちと接してきてっていう、そういう繰り返しで15年やってきたなというふうに思いますね。

真面目な人たちが多い学科

あのね、前との違いっていうか、今日のゲストインタビュアーの3人の人たちがいた時代と、今の学科の学生との違いっていうのは、そんなに根本的には変わってないように思いますね。勉強ができるかどうか-たまたま今日来てる人たち皆できる人たちなんですけど、フランス語ができるできないっていう意味じゃね、3人ともすごい頑張って、できる人たちなんだけど、フランス語ができない子たちとのエピソードもあるわけです、たくさん。だけどみんな真面目なんですよね。とにかく真面目。あの勉強をする、できるできないとは別に、本当に「くそ真面目」っていうぐらい真面目な人たちが多い学科じゃないかなと思ってて、 そこにすごく僕自身は勉強させられてきてるし成長させられてきてるし、学生によって本当学んだことってめちゃくちゃあるんですけど、それやっぱ学科生がそういうタイプの人たちだからで、それは今も変わってないと思いますね。今日現役の学生さんも何人か来てくれてるけれども、名前見る限り、ぱっぱーっと名前の顔が浮かぶわけですけど、その人たちもくそ真面目ですよね。もう本当に真面目な人たちですけど、そういう意味で本当に変わってないなというふうに思いますね。

どっちかって僕自身が少しいろいろな意味で変わった、変わってきたかなというふうには思いますけど、ひとつはね、この07とか08とか09ぐらいまでかもしれないけど、卒業式になるとですね、僕、ボロ泣きしてたんですよね、もうね、ちょっと今からは自分でその光景を赤面せずに思い出すことはできないってぐらいボロ泣きしてて、多分引いたんじゃないかなと思うんだけど、もう本当にね、悲しくて悲しくてというか、嬉しさと悲しさが本当混じり合ってボロ泣きしてたんですよね。でもね、最近、一切泣かない。

なぜかというと、結構ね、卒業してからも、この人たちもそうですけど、交流があって、アポなしで研究室に来たりですね、というような人たちがいるおかげで、これでバイバイじゃないんだと。卒業後も続いていくんだっていうのは、実感としてわかってきたんでしょうね。なんで俺ひとり残して卒業ちゃうんだみたいな感じだったんで、かつては。同僚でシモン・テュシェ先生っていう人がいるんですけど、シモン先生なんかは「暁生の後に、謝恩会で挨拶するのはイヤだ」と。「何が何でも暁生の前にさせろ」って言って、僕の前に挨拶するようになりましたね、僕が泣きながらボロ泣きしながら何かいろいろ言ってると、その後で挨拶するのがつらいと、暁生は最後にしろっていう。でも最近はそういうことはないと思いますね。冷静にできるようになったのは、卒業後も繋がっていけるかなというふうに、そういうことがわかってきたからじゃないかなというふうに思いますよね。そんな感じかしら。大きくは。

最初の学生だった07

司会 大六野さん、中山さん、松澤さんからお話をぜひ広げていただけますか?

中山  暁生先生に育ててもらったうちの学年の子たちがたくさんいるんじゃないかなあと思っていて、何かたまたまあの最初に赴任された年に私達も1年生だったので「基礎1」から教えていただいてると思うんですけど、なんかその後も、ゼミだったりそれ以外の授業だったり、何かお会いしていて、普通に他の先生たちと同じように学科教えていただいた先生でもあるんですけど、多分それ以上にみんな、授業以外の面でお世話になったところとか、お話したこととか覚えてる人がすごく多いんじゃないかなと思っていて。きっと何か後輩たちもそうなんだろうなっていう感じはしますね。

高橋 いやあ本当にね、要するに赴任したのと同じ年の最初の学生ってやっぱりどんな多分先生にとっても多かれ少なかれ印象深いと思うんですけど、初年度の学生さんたちが皆さんでよかったなっていうのは本当に思うし、自分が続けていけるっていうふうに思わせてもらった人たちなんですよね。本当にひとりひとりと、何らかの思い出というかエピソードがありますけど、ただ本当に若かったなっていうのはもう本当にめちゃくちゃ面談しましたからね。面談っていう名の、楽しい交流を。研究室で喋ってとかってのもそうだし、みんなでご飯行ったりとかってのもそうだしね。

本当時間よくあったなというふうに思うんですけど、ほんと最初に07もそうなんですけど、それ以降の08、09とかって、最初の出だしの二、三年間で出会った学生たちが本当に自分にとっては大きくて、ここでやっていけるなとか、大学教員としてやっていくのは楽しいなとかいうのを知らせてもらって教えてもらったのは本当にこの学生たちのおかげだなというふうに、今本当に思いますね、そこはね、感謝しかないですけど。たまたまの出逢いなんだけどね、本当にありがたいなと思いますね。

転職の報告…リアクションが濃かった

松澤 学生の頃にいろいろ面談していただいている、お話いただいたこととかっていう、そのときは自分の未熟であまりこう響かなかったことが、何か少し何年か経って、あって、そういうことだったのかって。よくそういう話ってあるじゃないですか、本当にそういうことってあるんだなっていう、だんだんわかってくるっていうのもあって本当に親身に考えてくださったんだな。なんか、時間が経ってからまたわかるっていうような、そういうこともありましたし、僕最近ほんとうに暁生先生が学生ひとりひとりに親身に、いろいろ話をされているんだなというエピソードがあるんですが、転職の話をしていた僕の場合は、夢を実現しに転職するんだって言ったときに、正直転職の報告をした中で、暁生先生のリアクションが一番濃かったです。大げさじゃなく30秒ぐらい暁生先生とハグしたっていう。

高橋 嬉しかったからね!

松澤 もうほんとに喜んでもらって。っていったところから、ほんとうに親身に、ひとりひとり考えてくださったんだなあと、その時も、はい。思いましたね。

高橋 半ば泣いたもん、ほんと。ソ祭のとき来てたんだっけ、卒業した後にね、ソ祭で来てて。その話を聞いて、もう本当に嬉しくてっていうね、もう、ただただ嬉しいというだけなんですけど。

松澤 涙目で。 もうふたりとも。

高橋 そうそう、それは、本当に。僕自身が楽しいからですけどね、そうやっていろいろ貰うものはたくさんあって、なんですけども本当に、何か僕が雅樹くんをお世話したことがあったとしたら、それ全部あそこで返してもらった感じがします。ほんとに。

松澤 ありがとうございます。

高橋 だからさっきの話にも繋がるんですけど、卒業してからも、やっぱり遠慮なく皆さん会いに来てくれると、時々ね、「もう学生じゃないのにごめんなさい、すいません相談あるんですけど」、みたいな人がいるんですけど、全然大歓迎、会えるだけで、こっちはもちろん本当に嬉しい、こちらはただただ嬉しいので、ぜひ気軽に声かけて欲しいなって思ってます。

愛が深い

大六野 私勝手に暁生先生に友だちの結婚式の写真を送りつけたりしてますからね。出席すると、もう入場から披露宴の解散までずっと、今あの子がケーキを切っていますとか、今お手紙を読んでいますとか、全部実況中継して送ったりして。そのたびに暁生先生がすごい喜んでくださるから、嬉しくなってますます送ってしまうみたいな。

高橋 喜ぶのがわかってるからね、そう、ワーッてなってるので、ほんとうに。

大六野 もう暁生先生は本当に愛が深いから、何かこう正直メールをお出しするのも、結構ためらわれて、私が気軽に3行ぐらいのメールをぱっと出すと、多分A4 2枚分ぐらいバーッと書いてくださって。睡眠時間とか体力の限界まで研究されたり人のために動いたり、いろいろされたりして、いっぱいいっぱいだから、何かこんな気軽にメールを送るのはまずいかなって思いながら。でもいいニュースはやっぱりシェアするべきだと思って。勝手に人の結婚式の写真を送ったりしてるんですけど。

高橋 ありがとうございます。続けてください。

大六野 私今回の同窓会に際して、過去の暁生先生とのやりとりのメールであったり、SNSでのDMであったりをちょっと読み返してたんですけど、大変申し訳ないことに、私はことごとく暁生先生の熱烈なアドバイスを全部結果的に無視して進んでいて、留学先も先生は別の大学をすすめてくださってたんですけど、結局SciencePo Parisに行ったし、就職先も、というか先生は当然私が大学院に行くと思われてたし、私も行くと思ってたけどなぜか、美術の仕事をしてるんですけど、もう日本で美術の仕事するにはやっぱりお金まわりのことわかってないといけない。となぜか思って日本の金融に入ったりとかして。

私が金融に入ったって言ったときの先生の顔がもう、「なぜ!?」 って。
でも会社を辞めてちょっとギャラリーをやってるとか言ったときもすごく喜んでくださいましたし、2019年ですけど国際芸術祭の仕事をやってたときも、もうやってる最中もだし、終わった後も、本当にもう熱いねぎらいの言葉をいただいて。そばにいてもいなくてもいつも見守ってくださっている、私が結局何をやっても応援してくださってるんだな、きっとそれは私だけじゃなくって、全生徒さんの応援を、暁生先生はされてるんだろうなっていうのが、すごく感じられて。でも本当にこうアドバイスを全部蹴ってきたにもかかわらず、こうやってこの場に置いていただいててありがたいです。

高橋 ありがとうございます。とんでもない、こちらこそです。

司会 はいテーマひとつ目について話してきましたけれども、何かすごい熱いやりとりになりましたね。お世話になってない方々も、もしかしたら高橋先生訪ねていってもいいのかななんて思いながら聞いてました。大丈夫なんですね。

高橋 いやちょっと最近ないけど、他学部の理工学部の学生が人づてに話聞いて、僕んとこに相談に来たり、他大学の学生が来たりとかね、そういうこともある。なんでこの人と話してんだろうって思うケースもあるぐらいなので、フラ語の卒業生いくらでもです。ぜひ雑談がてら話しに来てくださると嬉しいです。

テーマ2 フランス語を学ぶこととは

司会 はい、じゃあ次の切り口について移って、話し始めていけたらと思います。
テーマはその2はフランス語を学ぶことは、というテーマについて皆さんとで話していただければと思います。
先ほどもねちょっと話題に出ましたけれども、高橋先生が上智大学フランス語学科に来られて15年前に着任したときのフラ語の教育環境とかと今を比べると、先生がたの交代があったりカリキュラムが変わったり、いろんな変化があったと思いますけれども、その中でフランス語を学ぶこと、教えることに携わられている先生は、フラ語を学ぶことについてどう考えてますかっていうことを切り口にお話いただけたらと思います。

で、今のインタビュアーの皆さんもですね、フラ語との付き合い方とか良かったこと、そんなことも交えてですね、話していただければと思います。はい。では皆さん、お願いします。

フランス語ができるっていうことは、その子の可能性を爆発的に広げてくれる

高橋 なんか僕が喋らなきゃいけないんだろうと思うんですけど、まず。
それでもいや難しい。難しいというか、要するにオーソドックスによく言われるのは、やっぱりフランス語に限らずまず外国語っていうことですけど、日本語で見ている世界っていうのとは、よく1年生「基礎1」の学生たちを前によく言うんですけど、日本語で見ている世界の広さがこれぐらいだとしたら、フランス語をきちっとやると、全く違う世界を見れるようになるんだよっていう、ほんとうに世界が広がるんだよっていう話をしますし、さらに言われるのは英語的な影響っていうのが今日本はすごく強いわけですけど、そうすると英語のメディアとか英語を通して知る世界とはまた違うものをフランス語を通して見ることができるっていうのは、言語ってそういうものだと思うので、泉先生がいる中で本当緊張なんですけど、そういうもんなんですけど、そういうふうに学生にはよく言っています。 

ただ難しいのは、日本におけるフランス語の需要っていうことを言ってしまうと、卒業後にほんとうにフランス語と接している、フランス語を使って仕事をしていく人はほんとうに一部に限られてしまうし、いま今日来てくださっているゲストインタビューアーの人たちは、雅樹くんはちょっとわからないけれども、舞さんは完全にパリで生きているわけだし、フランス語が日常語ですよね。礼子さんもフランス語の通訳とか翻訳とかをやっていて、彼女の場合は絶対フランス語を離さないぞっていうのが、強烈な意志があって、何がなんでも離さない、っていうのがあって、実際離さないできているわけですが、しかしそう簡単じゃない。でもそういうふうな、要するに一部の人たちに限られてしまうことは確かにある現実としてあるわけですけど、それでもやっぱり4年間、フランス語学科に入ってフランス語を徹底して勉強する、あるいはフランス語を使って、フランスや、あるいはフランス語圏について、研究する勉強をするっていう、そこにとにかくしがみついて4年間送るっていうことを通して、やっぱりね、その経験をしている人としていない人とでは、今の社会を見ていく際の視野というか、視点の複雑さみたいなものは明らかに異なってくるんじゃないかなというふうに思ってますし、学科教員、僕だけじゃないですけど多分全教員がそういうふうな「フランス語を使って生活していく人たちばかりじゃない、しかし」って思って、そういうスタンスで教えていると思うんですね。それぞれのdisciplineディシプリン(専門の学問領域)を通して。

そこは、フランス語使えてなくても、あるいは在学中に若干フランスを挫折しちゃっても、それでもやっぱり違うなというふうに、実感として僕は思っていますね。

それからあともう一つ、ちっちゃな話というか、よく僕が学生に話すことなんですけどね、将来どんな職業選択をしても、それ実際そうなれるかどうかは別にして、あくまでも可能性の話なんだけども、卒業式の時に「おめでとう」って言ったある学生が、「どういう進路を進むことになったの」って聞いたら、例えば「私、大工の棟梁に弟子入りすることにしたんですよ」とかね、そういう話に仮になったとしても、フランス語ができるっていうことは多分その子の可能性を爆発的に広げてくれると思うんですね。そういうふうな自分の武器を身につけてほしいっていうようなアプローチで、何ていうの、encouragerするというかさ。煽るっていうか、あの励ますというか、そういうことをよくやっていますね。

舞さんなんかはね、いや、礼子さんはとにかくもう本当にいわゆる「どスペ」という人で、大変フランス語よくできる、元々できたし、元々できるところに甘えないのが彼女なんですけど、元々できた上に、さらに磨き続けて、現在進行でも、そういう人なんですけど、舞さんなんかは完全ゼロから始めた。「基礎1」から始めた。で今フランスでやってるわけですけど、フランス語学科じゃなかったら人生全然違うよね。

広い目線で見ることを知ってる人たち

中山 いや、全然違ったと思いますね、ほんとうに。はい。多分外国が好きみたいな、幼少期に親の都合でベルギーに住んでいたことがあるので、元々なんとなく海外に対する意識っていうのはあるんですけれども。でもやっぱり全然フランス語学科でやったからこそ、ほんとうに使いたいなって、5年間の間に1年留学したりとかして自分で実際に使ってみるっていう経験をして、そこでやっぱりまず1回目の「あ、フランス語やっててよかったな」っていう波が、来たと思うんですよね。ベルギー人の友達を作って話ができるようになって、全然違うカルチャーの人たちと何かこう交流できる、それの楽しさみたいなのも多分最初そこで感じたと思うんですけど。その後、そうですね。1回卒業した後、全く英語も使わない環境で3年ぐらい働いて、もうなんか「いややっぱり無理」みたいになって、そこでもう一回勉強しようかなというふうに思ったんですけど。

今、こっちに来てから、フランス人の方と結婚したからたまたまフランスにいるっていう周りに日本人の方が結構多いですね。で、そういう人たちと、あと、あのゼロから自分と同じように(フラ語で学んだ友だち)、あるいは学科の先輩、お会いすることもあるし、それからこのあいだ暁生先生を通して紹介していただいて、二つ下の学科の後輩と交流することもあって、やっぱりこう比べると、なんか考え方というか、いろんなことの向き合い方とか、あと真面目さ、もう全然違うなって感じることがすごく多くて。フランス語学科出身の人たちと話すとすごく安心するんですよ。

なんかそれはやっぱり広い目線で見ることを知ってる人たちだし、真面目に何かコツコツやることを一生懸命頑張ったことがある人たちって、なんかやっぱりそこだけでも違うなっていうふうに感じますし、その感覚っていうのが今働いててもすごく求められているっていうのは感じるので、もうそのさっき先生がおっしゃった、語学、日本語だけじゃなくて、英語だけじゃなくてさらにもう1言語っていうふうに勉強することが大切だというのはもちろん昔から感じるんですけど、それだけじゃなくて今働いていて、こっちで生活してて、なんか本当に自分でとにかく一生懸命やるっていうことに慣れてるかどうかっていうだけでも全然違うなっていうふうに感じますね。はい。

 高橋  いやいいこと言ってくれたなと思いますね、もう本当今の話は、「基礎1」とか「基礎2」の学生に聞かせたいぐらいで、舞さん初めから一生懸命とにかく頑張ったしそれが成果に繋がってきたっていう人ですけど、成績も良かったっていう記憶があるけども、だけど、とにかくフランス語をこっちはがっつりやらせるわけですけど、とにかくそこにしがみついて頑張っているとか、真面目にとにかく取り組むとかっていう、振り落とされそうになりながらその馬のお尻にくっついて、とにかく最後まで振り落とされないように行くとかね、あるいは場合によって振り落とされてももう1回乗ってやるとかね、なんかそういうふうな粘りとか、真面目さとか、そのフランス語にとにかく一生懸命取り組むとか、いうのが結構大事だったりしますよね。そういう経験をしてるかしてないかっていうの大事だったりするなっていうのは、本当そう思いますね、そこはね。

思考の外で起こってることを常に考えながら、生活すること、想像力を常に働かせること

大六野 そうですね。舞が、さっき「フランス語学科の人と話してると安心する」って言ったのは本当によくわかることで、社会に出てからもますます痛感してますけど。

なんていうかフランス語を学ぶっていうのは、日本語と違う言語体系つまり、違う文化、に生きている人たちのことを知ることだと思うので、言葉を学ぶっていうのは違う文化を学ぶっていうことだと思っているので、何か自分とは違う前提で生きてる人たちがいるっていうの、私達は当たり前のようにもう知っているけれども、あまりそれを考えない人たちも、社会に出てみたら結構いっぱいいて、そういう他者が他者であることが当たり前だっていうのをフランス語学科の人たちが知っているので、それがすごく話しやすいですね。

私は細々と通訳をやったり、翻訳をやったりしてるんですけど、特にアート系の通訳って、言葉ができればいいじゃなくって、アーティストってみんな「ふわっ」としたことを言うんですよね。例えば、映画の現場とかで監督が、サウンドエンジニアに、「ここのシーンな、しーん、となってから ばん!やろ」っていうんですよ。「しーん」から「ばん!」っていうのは、夜の海の静か〜な、静まり返ったシーンで月がだんだん満ちていって、そこで子供が生まれ、新たな生命の誕生からの「ばん!」っていうのはその次のシーンでドアがガーッて開く、突然マンションのシーンに切り替わるっていうことなんですけど、そういうのを、「しーん」から「ばん!」ってフランス語でそのまま言っても、どうしようもないので。

夜の海のシーンがあって、みたいな、解説挟むんですよね、そういうなんか… なんだろうな相手が何がわからないかを想像しながら通訳していくっていうのが自分の仕事で、アーティストは自分が「ふわっ」と思ってることをまだ言語化できないっていうか、言語化できたらそもそもアート作ってない、何かものを書いてたりすると思うんですけど、その「ふわっ」と考えてることをすくって引っ張り出して、私なりに解釈して他の人に伝えるっていうのが自分の仕事だと思っていて。それって、何か言葉を扱うこと、なんか何だろう grammaire(文法的にことばの構造を正しく使うこと)だけではなくって、人のことをすごく考えることだと思っていて、フランス語との付き合い方っていう質問でしたけど、フランス語、英語でも何語でも外国語と付き合うっていうのは、要はそれを話す人たちと付き合うっていうことで、その人たちのことを考えて、生活するっていうことだなって思っていて、何か自分を思考の外で起こってることを常に考えながら、生活することだなっていうが、私の中の外国語っていうか。ちょっとうまく言えないんですけど、なんか、想像力を常に働かせるっていうのか。すごく大事だなって思っています。
きっとフランス語学科の子たちがみんなそれができるから、安心して話せるんだなあとか、みんな優しいし、思いやりにあふれているし、下手に卑屈にならないし、すごく楽ちんですね、そういう意味で。

フラ語は突然訪れる

松澤 フラ語を活用するエピソード、ちょっと用意してたんですけど。この場をお借りして。

高橋 雅樹くんの場合さ、使ってないんじゃないっていうのがまずあったから。

松澤 そうなんですけどフラ語は突然訪れると思って、僕は。その武器を持ってると突然そういう機会が訪れて、相手が対応できないところが、自分はその武器を持っているから対応できるっていうのは社会人になってもありました。毎日使わなくても、ほんとにフラ語やっててよかったなという。僕は母がフランス人なんですけど、それでも話せない人もいっぱいいるわけで、フランス語っていう武器を持ち続けられたってのはほんとうに良かったかなというふうに思ったんですね。

ほんとに正直空港で働いていたときに、フランス人の方で成田と羽田を間違えちゃって、成田のチケットを持って羽田にいらっしゃったんですよ。どうしてもその日のうちに帰らなくちゃいけなくて、日本では交換できないチケットをお持ちだったんですが、変更不可のチケットだったんですけど、フランスの代理店に調整してもらえば大丈夫ってことで、まずはそこでフランスに電話して、調整してもらったら何とかオンタイムに羽田に変えられて、お乗りになったっていうケースが。そのときに本当にやってよかったな、フランス語が使えてよかったなと思いましたね。

司会 その人にとっては忘れられないオレリアンさんになりましたね。

大六野 唯一無二のスーパーマンみたいになりますね。

司会 お聞きいただいてる皆さんもそうそうって思うことすごいあったんじゃないですか、私はめっちゃ頷きながら聞いてましたし、やっぱり上智のフラ語であるっていうことって、それだけ何か価値があるというか、何か存在としてあることなんだなって、それがずっと受け継がれているものでもあるんだなっていうのも感じながら皆さんのお話を聞かせていただきました。

テーマ3 高橋先生の現在の研究 ー他者と自己を認識することについて

司会 ではここから テーマ三つ目に行きたいと思います。高橋先生の研究だったりお人柄そんなところですね、高橋先生のインタビューという形で話していただければというふうに思います。

高橋  今サバティカルで研究三昧の毎日を送らせていただいていて、ほんとに授業と学務から離れて久しいところなんですけど。
今ちょうどやってるのが、フランスの植民地になった、とりわけインド洋の島々ーマダガスカルも含めて-を旅したフランスの旅行家たち、旅行家といっても宣教師だったり軍人だったり、官僚だったり、あるいはフランス本土での生活がもういやになっちゃったような貴族崩れだったりですね、そういういろんな人たちが海外旅行をし始めるんですよね。もちろん大航海時代というのは大きいのだけれども、17世紀の終わりぐらいから盛んにフランス人は外に出始めるんですけど、僕が今読んでいるのは18世紀の終わりのほうの、インド洋地域を旅行した人たちの旅行記、聖職者の旅行記を今ちょうど読んでいるところなんですけど、彼らがどんなふうに自分にとっての他者つまり、大航海時代以降、ヨーロッパの人たちっていうのは非ヨーロッパ系の人たち-非キリスト教圏の人たち-と出会っていくわけですけど、そういう人たちがどういうふうに他者を認識するか、-今の話と繋がりそうな気もするんだけど、-自分たちと違う人間をどう定義していくかとか、どう縁取っていくかとか、いうことをベースに見ていきながら、同時にそれは多分皆さんもなんとなくわかると思うんですけど、他者を縁取るっていうのは同時に自己を縁取ることでもあるんですよね。自分とは違う誰かを認識する、あるいは自分とは違うっていうふうに認識するということは、自分もそのときにその裏表の関係で意識しているっていうのがあって、そういうのがテキストの間に垣間見えることがあるんですけど、そういう旅行記とか、回想録とか、そういったものに見られる他者認識と自己認識 - フランス人の他者認識と自己認識- みたいな問題を今資料を使いながら扱っているんですよね。

でそれって、結局何でそんなことに関心があるかっていうと、僕自身が日本人であるというふうに感じたりすること -ナショナルアイデンティティの問題ですけど-、そういう自分のアイデンティティっていうのがどう形成されてきたかっていうこともそうだし、もう少しマスとしての日本人のアイデンティティということもそうだし、フランス人のアイデンティティっていうこともそうですけど、そこにすごく元々関心があって、こういう研究をやってるところがあります。

フランスTV/イギリスBBCの東京オリンピックの広告動画と、日本の人たちの反応

何かそうするとね、たまたまっていうか、僕自身がそういうのやってたことと繋がるなっていうふうに単純にはもちろん思わないんだけれど、今年の夏のオリンピックパラリンピックなんかは、かなり僕にとっては、面白かった現象だなと。あの開会式とか閉会式の様相もそうだし、それからとりわけ面白かったのは、フランステレビジョンが作った東京オリンピックの広告動画は、とにかく面白かったですね。それからイギリスのBBCが作ったやっぱり同じように東京オリンピックの広告動画、これもすごく面白かったですよね。

一方BBCは、なんか小ちゃなゴミゴミしたアメ横みたいなところにグーッとカメラが入っていって、その横にある駄菓子屋だか雑貨屋だか、おじさんがひとり店番しているちっちゃなお店の中にグーッとカメラが入っていって、そこから、要するに日本のサブカルチャーっていうかな、そっちの方に焦点があって、東京のネオン街とか、要するにそういうふうなところをむしろ映していって、で東京オリンピックっていう。いろんな競技をやっている人形なんかが踊ったりしてね、いわゆるアニメが流れたりするわけですけど。でどっちかっていうと、そっちに対して日本人のユーザーの批判が目立ったように思いますね、BBCのビデオには。

この反応の仕方の違いがすごく僕にとっては面白くて、いわゆる京都奈良とか浮世絵とか、大相撲とか何かそういうものを、今の日本人はむしろ日本的なものとして喝采を送るわけですけど、実際に僕らの目の前にあるのは、大相撲もしょっちゅう皆さん通ってるのか、浮世絵がいつも家にあるのか、そうではないはずなんですよね。そうじゃなくて、日常、僕らが目にしているものを、むしろ動画で表現したBBCの方は、批判を浴びる。日本人に批判的に見られるというね。

いい悪いじゃなくて、そういうことにも元々関心があるんで、そういう意味でも自分が今やってることっていうのも、そこに繋がるような、アイデンティティとか文化の境界とか、自己と他者とか、そういう問題をずっと研究してきています。そういう意味では、今年の夏の東京オリンピックパラリンピックは面白かったですね。

何を前に出して「日本」というのか?

中山 今、私も仕事で、日本の文化とフランスの文化って常に比較で、何を前に出して「日本」って言ったらいいのかっていうのはすごくあるので、例えば、「禅」っていうことば -座禅の禅ですけど-、「禅」って言ったら、フランスではヨガもお寺も何かスピリチュアルなちょっとよくわかんないものも、あと何かちょっとエコロジーなただの何か自然みたいな、それも全部「禅」なんですね、なんか。混ざりすぎてて、日本人からしたら「いやおかしいでしょ」っていう感覚なんだけれども、それがフランスでは「禅」とされている。じゃあ日本のイメージ、日本人が考える日本の「禅」を出していけば、フランス人が好きって言ってくれるのかって言ったら別にそうでもなかったり。

あるいはこんなんでいいの? いまだに北斎でいいの?っていう北斎柄の風呂敷がやっぱり一番売れるとか、なんかすごい「ちゃちいかなっ」ていう湯飲みに北斎の柄が描いてあるものが、やっぱりうちのお店では一番売れるとか。
それでいいんだろうか。でもとにかく売って行くにはそれしかないんだろうかとか、そういう話は毎日のようにしているので、何か今の先生の東京オリンピックのフランスの作ったものっていう話はすごくなんかわかるなって思ったんですけど。

でもよく話すのが、そのフランス人の人たちと展示会をやりましたって言ってきてくれる、日本の人たちと話すときに、「フランスと日本ってお互いにリスペクトがすごいあるよね」みたいな。イギリスと日本とか、ドイツと日本のリスペクトのしかたと、ちょっとフランスと日本のリスペクトのしかたは違う。文化の面、あるいは伝統の面とか、職人芸とかそういうものが好きっていうところで「すごく合うよね」みたいな話もしょっちゅうするんですよ。

なので、何かその日本人がそのフランスの動画を見て、これぞ日本だって言って喜んでたっていうのは、なんかやっぱりそういう日本人がそもそもそういうものを日本的として捉えてるし、良いと思ってるっていうところとなんかすごく通じるなと思って、今もうなんかうんうんって(頷きながら)話聞いてたんですけど。

高橋  そうですね。舞さんはまさに、その最前線で実際働いているわけですよね。本当にその通りですよね。確かにね。

今、由利子さんがチャットで、フランステレビジョンのやつを共有してくれたのかな、BBCのも共有してくれましたからもし関心がある方は見てください。そうそう、本当にアクチュアルなところでそういうものと直面しますよね。もうフランスで過ごしてパリなんかでそういうことやってれば特にそうだろうなと思いますね。

中山 なんか元々日本の文化を広めるためにフランス行きたいと思ったわけでもないし、全然違うことのためにフランスに来たんですけど、結局そういう仕事をしていて、でも今の仕事を始めたらすごく先生のゼミでやったことが「これもそう」、「これもそう」みたいな。基本の考え方は全部暁生ゼミ、みたいな日々を過ごしてますね。「歴史から学ぶことは、今に通じる」とか。「他者と自己の関係性」とかそういうことをやったなっていうのは、ほんとにでもフランスで生きるにあたって、大事なエッセンスだなと思いますけど。

自分の国にいったん立ち返ってから、外の人をも説得できるコンテクストを考える

大六野  アートの仕事をしてても、やっぱり日本人の作家ー日本でマーケット小さいので、やっぱりあと、日本だと評価がすごく偏るので、みんな外に出て行くんですけど、海外に出ていく上で、何だろう、日本人であることを前面に出してもダサいんですけど、でも、やっぱり日本人であることをある程度プラスに持っていかないと押し負けるところもあって、素材に和紙を使ったりとか、墨をただ出すんじゃなくて、墨を加工してデジタルプリントにしてとか、何かしらその「日本っぽさ」を出したりすることもすごく大事で、じゃあ竹のデザインでいけばいいのか、竹の彫刻を出せばいいのかというと別にそういうわけでもないっていうか。自分がやりたい表現と、海外から海外で求められる表現が常に彼らの中でせめぎ合っていて、すごく外に行った人ほど、自分がどういうことを表現したいのかより深く考えて帰ってくる気がしますね。

美術史の中でどういう重要性があなたの作品にあるんですかとかもきかれるし、日本美術史の中ではこういう意義があるんですとか、どうしても自分の国にいったん立ち返ってから、外の人をも説得できるコンテクストを考えるっていうのがアーティストにすごい求められていて、なんかどこまでいっても、ナショナルアイデンティティからは逃れられないんだなっていうのをすごく感じますね。

世界的にすごく有名な奈良美智さん -ふうわりしたかわいい女の子の絵を書く人なんですけど- 彼もすごいロックが好きで、日本の70年代80年代のロックとかめちゃめちゃ詳しくて、巨大な打ちっ放しコンクリートのアトリエで、ガンガンロックかけながら、バーッと描いていく人なんですけど、何かそういう日本の音楽シーンが彼の背景にあったりとか、日本の音楽史であったりロック史であったりがすごく海外で評価されていたりとか。なんかそういう自分の生まれ育った国の文化からは逃れられないんだなって、切り離そうとしても周りからすごく求められるんだなっていうのは感じますね。ただの感想なんですけど。

司会 先生の研究の話から、ナショナルアイデンティティの話に膨らんでいてすごく面白い流れでした、ありがとうございます。ここまで三つのテーマで話し始めて、お三方、途中まで松澤さんもいらしていただきましたけれども、話を展開していただきました。

最近の学生さんがゼミ、卒論で扱うテーマは?

司会  ここから、会場の皆さん-会場なのかなこれは- ご参加の皆さんから何かこんなこと聞いてみたいなっていう質問をぜひ受け付けたいと思います。先生にでもゲストのインタビュアーの皆さんにでもあの大丈夫なので、何か質問ある方、いかがでしょうか?
最近の学生さんってどんなゼミテーマを探して指導されてるのかなとか、卒論とかあって、何かどんなテーマで先生ご指導されてるんですか。

高橋  まずね、僕のゼミって人がちょっと来過ぎちゃって、申し訳ないですけどお断りしなければいけないような年も-毎年そんな感じになっているんですけど、なぜかって言うと、歴史学っていうdisciplineディシプリンはですね、どんなことに関心を持っていても、全部だいたい引き受けられてしまうっていうのが学問の性質としてあって、そういうので、人が結局集まってくることになると思うんですね。

今日来てくださってるゲストインタビューアーの方で言うと、舞さんが僕のゼミで、彼女はカルメンの研究ですよね。本当に素晴らしい勉強して、当時は卒論というのが一般的じゃなかったっていうことがあってゼミ論としての扱いだったかな。カリキュラムが少し2014年度から変わったので、今ではどっちかというと卒論を書くのがメジャーな形になっているんですけど、今の水準に合わせても、舞さんの論文は卒論なんだろうなというふうに思うんですけど。

礼子さんはクショ先生のところで、美術史と言っていいと思うんですけどね。マティスだっけ。そうですね。確かフランス語で書いたんですね、素晴らしい卒論書いたと思うんですけど。

雅樹くんはジョリべ先生のところでね、社会学ですけどテーマは日本におけるハーフのアイデンティティとか、どう見られてるかとか、そういう話に関心があって彼は書いたんですけど、やっぱり、ジョリべ先生がすごくかわいがってますよね。

各ゼミで皆さんそれぞれのテーマ書くのは今でも変わってないんですけど、うちのゼミはやっぱり、今言ったように歴史学ってことがあって本当に広くたくさんのテーマをやってて、今日来てくれてたようにさっき思ったんですけど2011年生の辻七海さんという子がいましたけど、今ドイツにいますけど彼女はドイツから接続してくれてると思うんだけど、彼女がやったのはその中世世界と教会音楽ってね。中世の音楽史についてやって、これもとても面白かったんです。

あるいは現役の学生で、今井舞眞子さんはノートルダムの、ちょっと辻七海さんが使ったのがノートルダム学派っていうですね、教会音楽の代表的な派なんだけど、それ繋がりじゃないですけど、今井舞眞子さんていう今の学生、4年生が扱っているのは、ノートルダム大聖堂そのもので、ノートルダム大聖堂が燃えましたよね。燃えたときのフランス人の反応というのがすごく面白かったわけですよ。ノートルダムの周りに集まって燃え落ちる教会を見ながら賛美歌歌っている人たちもいたし、中にはラマルセイエーズを歌っている人たちもいたし、涙流してもう崩れ落ちるような人たちもいたし、それって一体何?っていうね、単なる宗教的な信仰心だけではないんじゃないか。さっきの話じゃないけど、ナショナルなアイデンティティの問題も絡んでくるだろうしっていうので、ノートルダム大聖堂がフランス人にとってどういう存在なのかっていうテーマで今書いたりもしていますね。

そういう歴史的なものとか文化的なものもあるし、そうだな、手元に、ついこないだあったゼミ説明会のプリントがあるんですけどね。

ファッションの歴史を扱う人がむちゃくちゃ多いですね。ココシャネルの話であるとか、ファッションを扱う人はすごく多いし、それから、ワインの話とかですね。

去年一昨年かな、「美女と野獣」って皆さんご存知の、ありますけど、「異類婚」 人間と野獣の結婚なんですが、そういうものが一つのジャンルとして存在してる、いったいなんだこれはっていう、そういう研究であるとかっていうのもあるし、動物愛護の歴史。動物愛護の歴史って言われてもやっぱりピンとこないかも知れないんですけど、僕のうちはね、ポムちゃんっていう、ミニチュアシュナウザーのワンちゃんがいますけど、むちゃくちゃ僕可愛がっててですね、多分亡くなっちゃったら本当にボロ泣きするし、今、田中博子が手挙げてくれてますけど、彼女の卒論のテーマが動物愛護の歴史だったんですね。実はね博子さんがゼミ論で扱った動物愛護の歴史を長く扱ってなかったんだけど、2年ぐらい前の卒業生がやはり同じように動物愛護の歴史をね、扱って、博子さんがやったのと少し違うアプローチの仕方なんだけど、「なんでこれほどペットを愛するのか」。でもこのメンタリティって、実は17世紀の末ぐらいからようやく現れ始めるのですよね。実際には、それ以前というのは、動物をむしろ虐待の対象、めちゃくちゃいじめて皆さんが気晴らしをする対象でしかなかったんだけれども、それが愛玩、愛情の対象になっていくっていうのは17世紀の末のイギリスとフランスなんですよね。なんで?って思いません? それは動物の扱いが変わるってことは、人間の社会が変わっていく、人間自体が変わっていったことなわけ。そういう話を扱っていく。逆に言うと今の問題で言えば、2年ぐらい前の卒業生が扱ったのは、やはりその動物虐待っていう問題が、実は裏表の関係にある。僕らが動物を溺愛するのと、もちろん、彼らを虐待するのとは、裏表の関係で繋がりがあるわけですけど、そういう問題を歴史的に見て扱ったという卒論があったり。

僕は、歴史家です。歴史学をディシプリンとして研究してきました。だけど史学科に就職したわけじゃなくて、フランス語学科に就職したわけですけど、本当良かったなというふうに思うのは、ゼミ生の問題関心が本当に多種多様で、必ずしも歴史好きな人たちが集まってくるわけじゃないのだけども、それをいろいろ学生とやりとりしながら、歴史学のディシプリンを使いながら、今の僕らの周りにある現象や問題を扱っていくところに、その終着点、結論みたいな持ってくる形で指導するっていうことをやると、本当に多様なテーマが出てきて、もう全然挙げきれないんですけどね。

去年の卒業生でね。柳宗悦(やなぎむねよし)っていう工芸、日本の工芸の父みたいな人ですけど、彼を扱った人がいるわけ、フランス史のゼミでね。でも、実は彼はフランスっていうところと無関係ではないし、日本の工芸とかあるいは民芸という世界っていうのは、実は19世紀以降のフランスのアール・ヌーヴォーとかアール・デコとか、その歴史とすごく密接な関係を持ってるんですけど、あるいはイギリスとも密接な関係を持ってるんですけど、そういうところに視野を持ちながら、工芸、民芸の話を扱った卒論を書いたりもしていますよね。

なんか本当に広くて、僕自身がとにかくひとりひとりの指導をするために、むちゃくちゃ勉強するわけです。必ずしもフランス革命だけじゃない-もちろんいますよ、今年もいます、フランス革命やってる人。だけど僕自身が本当に勉強しないと、とても指導できないっていうようなケースもあって、一緒に勉強しながら指導してるっていう感じですね。

司会 はい、先生ありがとうございます。本当にいろんなテーマがあって、全部の話聞きたくなりますよね。

中山 全部読みたいですね。

高橋  いや本当ね、ほんと様々です。皆さんのテーマ自体が。僕今ではねどっちかっていうと美術史の関心がある人はクショゼミに行ったほうがいいよってよく言うんですよね、礼子さんのようなケースもあるから。でも美術史やる人もいますし。うん。死刑制度の歴史とかね。死刑フランスは廃止されてるけど、日本は残ってますよね、どうしてとかね、いうようなことを扱ったりね、真希さんがね、手挙げてますけど、そうそう本当にいろいろです。僕自身が勉強できてて面白いなと思いながら、やってます指導してますけど。

大先輩より

田中 高橋暁生先生世代じゃない人から、ちょっとコメントいただきたいなというのがあって、フランスにお住まいのクレー邦子さんおいでになりますか。

クレー  そうですね、私は卒業したのが、1966年 もう想像もできないぐらい前ですよ。ストラスブールに住んでもう30年以上ですね。(中略)

田中 私クレーさんとかの世代の方が今日 暁生先生の話を聞いてどういうふうに思ってらしたかなって思って。暁生先生に教わった世代、それから私は自分が最後に2009年に辞める数年前に暁生先生が長谷川イザベル先生の後任で入られて、それでもう一挙にものすごい人気者になって、今日お話聞いたら、ああーやっぱり何かすごく学生さんひとりひとりのことを見てらっしゃる先生なので、この人気はやっぱりだよねって、私も改めて納得したんですけど。クレーさんみたいな大先輩の目から見て、暁生先生と「暁生先生チルドレン」たちのフラ語っていうのはどんなふうに映りましたか?

クレー  非常にうらやましく思いました。ていうのはすごく先生のお人柄がね、そういうふうに皆様を引きつけていらっしゃるんだと思います。 
私たちの時代はリーチ先生という先生がいらしたんです。その先生が中心になって、私はもうフランス語は劣等生ですからね、そのどちらかというとテニス部のほうの学生だったんで、もういつも睨まれて、なんかフランス語はもう、教室の後ろのほうにいて、フランス語学科の先生なんかは苦手だったんですけどもね、もう高橋先生のお人柄でこんなに素晴らしい生徒さんたちがいらっしゃって、うらやましいなと思います。

高橋  ありがとうございます。

司会 時間も迫ってきましたね。(中略)

フランス語倶楽部のこと

高橋  本当にありがたいコメント 卒業生の大先輩の方からいただいたりして、本当その通りなんですけど、今のフランス語学科の変化っていうことで言うと、ちらっとね学科のブログにも書いたことあるんですけど、フランス語倶楽部っていう学科内のサークルがあって、それが今すごい活躍してくれて。ほら、結構ね僕が入ったときだと、クラスごとでちょっと溝があったり、あるいはスペシャルと「基礎1」の間でちょっと溝があったりっていうことが若干あったんだけれども、それが今本当になくて、あと、先輩後輩の関係もすごく仲いいしフランスのクラブ、「フラクラ」っていうクラブがあってそれがすごく今機能していて、そういうのも多分あって学科の雰囲気がさらに今良くなってるんじゃないかな、コロナでここ2年ぐらいほぼ活動できてないんですけど。

チーズパーティーやったりね。チーズパーティーっていうのはイザベル先生がやってたチーズパーティーを引き継いでるんですよ、イザベル先生がやってましたよね、あれを引き継いだ。今チーズパーティーという形で、学科の中だけじゃなくてもっと大きいところ借りてやってるので、参加者が100名とかを大きく超えるようなイベントになってますけど。あとクリスマスパーティーとかね、1年生対象の花見とかね、そういうのをやって、本当に今、学科内の空気がいいんじゃないかなと思うんですけど、これも学生の発案なんですよね、フランス語倶楽部っていうのを作ったのが。

実はその07の学生と、07が2年生になった2008年から。夏休み入る前かなんかに、新宿に飲みに連れて行ってもらって- 僕は誘ってもらって行って、何人かでね、新宿で飲んでるときに、隣に座った林佳寿子っていう学生がね、「イスパニア学科にはサークルがあると、フラ語版ないのか」と言われて、じゃあ作ろうよっていう話になってすぐ何人かが集まって、立ち上げたんですよね。2008年に立ち上げて、その後も2008年次生とか2009年次生なんかもどんどん入ってきて盛り上げてくれて今でも多くの学科生が1年生になるとみんなまず「フラクラ」に入ってきて、そこで親睦を深めて、っていうことやってますし、できれば、卒業生たちともね、もっと繋がれたらいいなというふうに思うんですけど、学科内の、まずはあの横と縦、それから教員と学生との間なんかを繋ぐ親睦サークルみたいなのができて、本当に今、フラ語いい空気ではないかなというふうに思いますね。

司会 繋がりっていうところは今日の同窓会っていうところにも何かすごく繋がっていくなっていうふうに思います。ちょっと終了時間が過ぎてしまっているんですけれども、まだお時間が許す方は、ぜひ最後のメッセージのところ、いていただければと思います。

先ほど安さんからアンケートをチャットにお送りさせていただきました。今後の同窓会の活動に向けて何かメッセージをいただけるとすごく励みになりますし、今日のゲストの方々へのメッセージもよければそちらに書いていただければと思います。ぜひ皆さんご協力をお願いいたします。

高橋先生から同窓生の皆さんへ、同窓会への期待など、最後に一言

司会 では高橋先生から同窓生とか皆さんへ、同窓会への期待など、最後に一言いただきたいと思います。

高橋  はい、いまZoomの表示の仕方を変えて、タイルのような感じで今見てたら、もう本当にウワー懐かしいというような人たちが結構来てて、喜んでるとこなんですけど。

今日来てくれたが3人のインタビュアーの人たちって、せっかくなので、こういう機会だったので、できれば現役の学生たちにも来てほしいと思ったし、卒業生の人たちにも来てほしいと思ったんですけど、とりわけどちらかというと若年層というか、若い世代の人たちにちょっとお見せしたかったですよね、この3人を。

礼子さんなんかは、まさにさっき自分の自己紹介でもおっしゃってましたけど、学部卒業して美術とフランス語をとにかく追求したいと思ってる人が全然違う、大企業ですけどね、就職して、でもそこでうまくいかなくて、悩んで悩んで、方向転換してフリーランスになって、今だって楽じゃないけど、好きなことやりながら、しんどい中でも好きなことやりながら生きてる。

舞さんなんかは、全然フランス語も英語すら使わないようなところに就職して、その間も何度も話聞いたりしてましたけど、しんどそうで、そっからバーンと飛び出して、その会社でもすごい頼りにされてしまうような人なんですけどね。そもそも卒業時点で、大学院に行きたいと言っていた。だけど、いや、できない、いろんな状況が整わなくてね、就職するんだけど、就職先で頑張る。3年とか4年頑張るんだけど、そこでやっぱりまた悩んで、その後、全く保障ゼロのところで飛び出してフランスの大学院マスターに入るわけね。そこでもう散々また苦労して、でも今いろんな縁とか、そういうものもあるし本人はもちろん努力があるわけだけど、パリで働いていて。

さっきの雅樹くんなんかも、ずっと「パイロット」で、でもそこにストレートに行ったわけじゃなくて。

ほんとうに今の学生のたちを見てると、言いたくなるわけですよね。これだけカラフルで多様な生き方が本来あって、フォーマットなんかどこにもないんだよというのを、やっぱりこの人たち示してくれているし、今ちょっとがっかりしたとしても、まだまだこれからよっていうふうに、どっちかっていうと、彼ら見てると思いますね。たまたまここに来たの優等生なんですけどね、3人ともでも全然優等生じゃない人たちだっていて、フランス語全然できなかった人たちも言って、でもその人たちなりに、自分なりの生き方を大真面目に、くそまじめにやっていて、そういう先輩たちの姿を見てほしいっていうのがすごくあったので、今日本当はもうひとりふたり呼びたかった人もいるわけですよね。

大企業に-五大商社に就職して今京都市役所で働いてる人がいるわけですよね、全然そんなこと卒業時には予想もしなかったわけだけど、でも自分なりに選んでそういう道に進んでたり、あるいは今フランスのね、卒業してすぐ1年ぐらい全然関係ない就職先に就職するんですけど、その後すぐ、フランスの大学院に行って今、ドクターに所属していて、社会学を専門にしている卒業生がいて、彼女は今パリのソルボンヌで、ひとコマ授業を持って教えてるわけ社会学の基礎をね。

ほんとうにいろんな生き方をしている先輩たちの姿を、現役の学生さんに見せてほしい

うん。そういう生き方の多様性っていうのを見て欲しくて、その卒業生にも来てほしいなと思ったんです、たまたま合わなかったんですけど、そういうのを見て欲しいというので今日、こういうのすごい苦手なんですけどお受けして、勇気持ってほしい、希望を持ってほしい、本当にいろんな生き方があるんだっていうのを知って欲しかったですね。

それはちょっと申し上げておきたいし、だからこう締めたいんですけど、まだまだ学科と、さっき「フラクラ」っていう学科内の親睦を図るサークルがあるって言いましたけど、実は隠れたテーマで卒業生と現役生の間を繋ぎたいっていうのがずっとテーマとしてあるんですよね。なかなかうまくいかないんですけど。もっと先輩たちの姿を見せてほしいし、今の18から22ぐらいまでの学生にとって何より響くのは、まあ、あの、それなりの近い世代かなっていう気もするから、若い人たちにもっともっと参加してほしいっていうか、若い卒業生たちに出てきてほしいし、多分今後いろいろもし声かけたら話に来てほしいなっていうふうに思っています。
というわけでした。ありがとうございました。

司会 先生ありがとうございます。

田中 暁生先生にもやっぱり紹介していただいたりして、「この人だったらこういう話をしてくれそうよ」っていうことを同窓会の方に向けて紹介していただければ、同窓会のイベントとかに生かしていかれるかなって。

高橋 うん、それには僕が最適だと思います。

司会 よろしくお願いします。はい。今日は高橋先生と大六野礼子さん、中山舞さん、松澤オレリアン雅樹さん。拍手を送りたいと思います。皆さま ありがとうございました。

司会 せっかくのイベントなので写真撮影をやりたいんですね、もしよろしければ、顔出していただける方、あと名前だけでも残していただける方ですね。ぜひ顔出していただいて一緒に過ごした思い出をですね記録しておきたいなというふうに思います。よろしいでしょうか?ありがとうございます。

高橋 ほんとうにありがとうございます。みんなの顔を久しぶりに見れたのがほんとうに嬉しいです、僕はもうとにかく。オンラインでも嬉しいね、顔が見えると。ほんとうにそれが幸せです。こうやって皆さん来てくれて、大したお話ができませんでしたが、記事になるの?これ

田中 大丈夫!

司会 はい、ではここで閉会としたいと思います。今日はご参加いただきましてありがとうございました。ぜひこれから同窓会も関わっていただければと思います。今日の記事が会報に載る予定ですので会報もぜひ楽しみにしていただければと思います。皆さん、今日はこれで以上になります。ご退席ください。ありがとうございました。

(以上)
(文字化・構成 会報チーム)


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