オンライン・パネルディスカッション(抄録) 「フランス語学科で学んだこと、海外で働くこと・暮らすこと」2020年10月24日

 10 月 24 日土曜日、この日は 5 年ぶりに世代を超えて卒業生が集う「フランス語学科同窓生の集い 2020」が行われる予定でした。しかし、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を考慮し、延期となりました。このほかにも、例年、フランス語学科と同窓会が共同で開催している就職懇談会も、開催のめどが立っていませんでした。

 そんな中、卒業生、現役の学生、そして先生方が交流で きる場を作ることができないかと考え「フランス語学科で学んだこと、海外で働くこと・暮らすこと」と題したオンライン・パネルディスカッションが開催されました。アフリカやヨーロッパ各地で暮らし、働いた経験のある卒業生 をパネラーに迎え自由に語らっていただこうという企画です。
 水野雅之さん(1993 年卒)が総合司会、田中幸子さん (1982 年卒)、舟橋加奈子さん(2008 年卒)をファシリテーターとし、パネラーには、ノルウェー在住の北欧ジャーナリストで写真家の鐙麻樹さん(2008 年卒)、国際協力機構(JICA) にお勤めで、最近カメルーンより帰国された増田淳子さん (1994 年卒)、イタリア在住で繊維商社ミラノオフィスにお勤めの松村崇弘さん(2008 年卒)、そして食品会社に勤務後に フランス・ニースでのワーキングホリデーを経験された鈴木絵理さん(2010 年卒)の 4 名に加わっていただきました。

 世界各地に卒業生がいることを考慮し、日本時間の午後 8 時からスタートしたパネルディスカッションには、卒業生・ 現役学生・フランス語学科教員、合せておよそ 50 人が参加してくださいました。

 冒頭は、事前に寄せられた質問をもとに、ファシリテーター からパネラーに質問していくという形で進行していきました。 学生時代の留学経験や今の仕事を選んだ理由、仕事をしていく中でフランス語を使っているかなどといったテーマで、 パネラーのみなさんがそれぞれの貴重な経験について話してくださいました。
 参加者の皆さんからは、チャット機能を使って質問を募集。 直接集まれないという残念な状況の中でも、オンラインでの集会というのは、こういった機能を使ってより気軽に質問できるという良さもあるのではないかと感じました。

  パネルディスカッションは、予定をやや過ぎた午後 9 時 40 分頃に終了いたしました。が、実はこの後も午後 10 時頃 までは雑談タイムとしてオープンしていて、残っていてくれていた就職に悩む学生さんからの質問に先輩たちが答えるという一幕もありました。 その後に寄せていただいたアンケートでは、卒業後の選択 について参考になったとかなかなか会えない方や海外在住の方の話が聞けてよかった、パネラーだけではなく、他の参加者の声も聞きたかったなどといった感想が寄せられました。

企画担当 高井晃(1995 年卒)

目次

自己紹介、在学中の留学経験、使っている言語

パネラー

増田淳子さん(1994年卒)

●副専攻で卒論を書く時間を 確保したくて休学して語学留学。
新卒で国際協力機構(JICA) に入りモロッコ・セネガル・ カメルーンへ通算10年赴任。
直近のカメルーンでは、職場では日・仏・英語、関係省庁との折衝はフランス語。 日本国内でも、日本語に加えて、仏・英何れでも行う。
仕事全般で英語は必須。

松村崇弘さん(2008年卒)

●2010年から現在まで ミラノで生活。卒業後ミラノでデザインを勉強しつつ、 2015年の万博などを経て 今は日本の繊維商社のミラノオフィス勤務。
北欧、フランス、ドイツなどに日本の服の生地を売っている。
イタリアのお客さんではイタリア語、 それ以外ではフランスのお客さんでも英語。

鐙 麻樹さん(2008年卒)

●ノルウェー・オスロ在住。 在学中1年間フランス(モン ペリエ)に留学、ノルウェー やスウェーデンからの留学生 に出会う。卒業後ノルウェー に引っ越しオスロ大学に入学、 大学院に進学。ノルウェー語ができるとスウェーデン 語とデンマーク語もわかるようになるので、取材する 範囲が北欧各国に広がり今はフィンランド語の勉強もしながらニュースを配信。ノルウェーに来て最初の2、 3年はフランス語をたまに使っていたが、今は北欧に限っている。

鈴木絵理さん(2010年卒)

●大学2年生の春にフランス・ カンヌに短期留学。新卒で食品会社に就職、7年半勤務。 30歳のとき2018年夏から2019年夏までニースで ワーキングホリデー(パティシエの修行、フレンチレストランでサービス)。
現在は スターバックスコーヒージャパン勤務。
日本でも少しでもフランス語を話したいと思っている。

田中幸子さん(1982年卒)

●2009年3月までフランス語学科教授。
早めに退職し ドイツ・オーストリアを経て、 2013年からアイルランド在住。
今の生活は主に英語。
フランス語を教える仕事が好きなので『フランス語で話す自分のこと 日本のこと』(白水社)などの 本を執筆。

舟橋加奈子さん(2008年卒)

●卒業後進学してフランス語 の絵本を題材にして研究、通訳、翻訳に携わった。イベント事業の会社に就職5、6年 勤めた後、カナダ・モントリオールでワーキングホリデー。 そこで出会った人々の縁でカナダの会社で働く。
転職 してエグゼクティブコーチングの会社勤務。
モントリオールは英語とフランス語が半々。地区によって英語 が濃くなったり、フランス語が濃くなったり、両方使う機会があった。
両方喋れる人が多くて、すごく面白い経験ができた。

●学生時代に留学しましたか? いつごろから将来のビジョンを持ち始めたのですか?フランス語学科での勉強が今につながっていますか? 海外で暮らして良いことは?「日本では絶対に経験できない」と思った体験は?

松村 
 在学中は基本的にビジョンはなかったですね。
 学生時代は留学していません。学部を終わってから、長く行こうと思っていたので 。
 イタリアへ来たのは語学専門じゃなくて、ヨーロッパ で何をするかってなった時に、文化的なもの、物事の 考え方、捉え方がやっぱり違うからそこを見るのにデザインって面白いなって思いデザインの学校に行って みたんです。

 イタリアは車、家具、服と全部そろって いて、ご飯も美味しいし、サッカーも好きだし、パリ よりも田舎くさい所に行きたいと思ってミラノを選 び、家具などの工業製品を勉強しました。

 日本の会社で働くということがわからないので、何が普通で何が普通じゃないのかということが自分としてわかりませんが。結果として外国人として暮らすということ自体が、大きな違いかなと思うのです。マイノリティーになるというのは貴重な経験かなと思います。

増田
 フランス語圏アフリカに携わりたくてフランス 語学科へ進学しました。
 
父が JICA から派遣されたザイー ル(今のコンゴ)に小学生だった自分もついて行った経験が縁になり、この地域に繋がりなおしたいと思って いました。
 JICA についても知っていたので志向性ははっきりしていましたね。

 
 フランスはフランス語圏アフリカにかかわるという意味では興味がありましたが、文学とかには興味がありませんでした。副専攻として国際関係を選び、卒論を書く時間がとりたくて、休学して自費で私費で語学留学しました。
 学部卒の勉強はだいたい一般的なことなので、大学時代に勉強したことが仕事の内容に直接つながっているとは思いません。しかしフランス語学科でフランス語力のしっかりしたベースを作ってもらったので、留学した際に語学力が上達しました。
 副専攻で卒論にフランス語圏アフリカからフランスへの労働力移動というテーマを選んで 多くの文献を読んだことが地域理解に役立ちました。

 また就職後3年目で最初の海外赴任地モロッコへ行ったときには、学生時代に学んだフランス語とオフィシャルなフォーマルなフランス語は全く違うということを痛感しました。


 南仏のモンペリエに1年間留学しました。その際に太陽の多いという理由でノルウェーやスウェーデンからの学生が多くて、たくさん友だちできました。それもあって後にノルウェーを選んだのです。つまり、在学中の留学経験があとにつながったということです。留学してなかったらノルウェーに来ていませんでした。

 在学中から社会のトレンドや、トレンドの分析、 最新の情報が集まる場所にいることが好きだったの で、オスロ大学で主専攻をメディア学にして、大学院にも進んだのです。
 
フランス社会の授業で移民のライフスタイル、ジェンダーとか女性の働きやすさとか、 なんとなくこれが好きなのかなと感じたものが全部仕 事の記事のテーマになっていますね。
 日本人でジャーナリストをやっている人はノルウェーにいないので、 ブルーオーシャン的なところがあって発掘しがいがあります。ノルウェーでは他人に干渉してこないし、自由に暮らすことができます。

 
 北欧は福祉制度が発達していることは日本でも知られていると思いますが、教育費や医療費が無料です。オスロ大学や大学院も、1年間に事務手続きの料金を1万円ほど払った以外は全て無料だったし、病院に行って手術とかを受けても無料です。教育費や医療費が無料というのは精神的に楽だし暮らしやすいです。

鈴木
 在学中にカンヌへ短期語学留学しました。
 あまり将来のビジョンを考えない学生生活を送って、3年生になって就職活動がちょうど氷河期で 食品の会社にひとまず入社しました。体調を壊して退社してから、ワーキングホリデーって30歳までだか らラストチャンスだと決心して、またフランスへ行きました。
 ワーホリの経験が、日本へ帰ったらどうするの?という自己分析をする機会になりました。
在学中に勉強し た「教育」と「外国語」そして「接客」が自分には合っ ていると分かってきたので、その3つを軸に帰国後の今の仕事を選んだのです。

●フリーランスで働いて大変なことは?


 
最終学歴が外国語だと、学歴と仕事が直結しているノルウェーでは仕事が見つからない。メディア学専攻の大学に入って勉強しました。北欧のなかでもノルウェーは物価が高いので大学 へ行きながらフリーランスで仕事を始めました。

 オスロ大学に入ったら、ノルウェー語でメデイア学を学ぶはずなのにスウェーデン語とデンマーク語もできないと文献が読めないというスパルタ環境だったことにびっくりしました。でもおかげでジャーナリストとしては仕事の幅が広がりました。いろんな語学を一日のあいだに聞かなければならない環境は、日本の大学とは違った意味で大変でした。
 大学に行きながら仕事もするという生活でした。

 ノルウェーや北欧に関して偏ったネット情報しかない時代 だったので、ニュースや時事情報をインターネットに 発信していたら、どんどん仕事が集まってくるように なったんです。

 日本の通信社はドイツやイギリスに支社をおいていて、ノルウェーにオフィスがありません。だから自分のなかで、どこかの企業に就職しようという発想が全くなく、最初からずっとフリーランスでやってきました。

 一番大変なのはビザの更新です。起業して労働ビザをもらえて、そのあと永住ビザが取れて、すごく嬉しいです。

英語とフランス語を両方マスターしていたことでノルウェー語がわりあい楽にクリアーできました。
基本の勉強法がわかっていたから、「一年間あればなんとかなるだろう」と自信を持っていて、周りにすごくびっくりされました。 できる語学を増やしておくのはすごく強いです。どんどん仕事が増えます。

●25歳が人生のターニングポイントと言われますが、振り返ってみてどう思いますか? ( 現役生 からの事前質問)


 その「何歳から」って、すごく日本的な質問。日本ってすごく年齢を気にする社会なんだなと思います。
「もう何歳なんだから、しっかりしないと」とか、「親孝行をしなければ」、「卒業して社会人として働かなけれ ば」、「子どもを産まないといけない」とか、そういう年齢に対する訳のわからない社会的な重圧が日本だとあるけれども、ノルウェーではほんと周りから言われないし、だから自分もひとに押し付けないんですよね。
いまフィンランド語の勉強を独学で始めたのですが、 周りにびっくりされるんです。「えっ歳とってから新し い外国語?」って。「すごい楽しいよ」って周りに言ってて。「脳みそ新しく生まれ変わるよ」って。

増田
 超日本的な組織にいながら海外に関わっていますし、自分はわりと日本的な行動や発想をする人で、基本的にファシリテーター、コーデイネーター、黒子的な仕事であることに、就職した20代の頃に「合っている」と思いました。キャリアアップして転職ということは考えていませんでしたね。
 20代であるとか25歳までに、といったことよりも、ずっとこの組織のなかにいる場合に、ということを考えていました。
 将来的にこの組織で、海外の拠点で自分がマネージメントをする立場を考えて、それに必要なスキルを重ねていかなければと考えましたね。 海外にいるときは年齢的なものを意識しないけれど、 日本に戻ったときに意識するなあと思いながら鐙さんの話をきいていました。

■ 価値観の違いや驚いたことは?(当日の参加者から チャットで質問)

松村
 どんどん状況が変わって行くんですよね。「一年 契約だよ」って言っていたのがなくなったり。特に今は状況ががんがん変わって行く。約束は約束じゃないし。とりあえずサバイバルって感じですかね。

 そこは日本にいたときは全く想像していませんでしたね。日本では華やかな印象を持っていましたが、海外生活の実際は生き残りを賭けた生存競争だと思います。

増田
 びっくりすることは多いけど、基本的に「びっくりしない」ことにしています。異なる環境に適応できるフレキシビリティが重要な仕事ですね。

温度感は子どもの頃の経験からあるので、打ちのめされることはありません。 日本の組織なので、アフリカ現地側と日本側とのバランスをとっています。
 また、フランス語圏アフリカは旧宗主国のフランスからの影響を強く受けているので、良いところも嫌なところも含めフランスの匂いがします。学生時代にフランスへ留学して、植民していた国フランスの文化を知ってアフリカに入ったことは良かったです。

■日本では学部卒業後新卒で就職するのが一般的と感じますが、何かアドバイスがあれば。 ( 現役生からチャットで質問)

松村
 語学だけだと武器にならないので、それ以外に 何をしたいのか、そのためには、というように、目の 前に自分でタスクを作って、それをひとつずつこなし ていくことが大事。
 
今の現役の学生さんは僕らより十何年若いので、僕らが想像できないような仕事のしか たや働き方があるので、ブルーオーシャンを狙ってい くのも、すごく大事かなと思います。


 わたしは新卒で就職していませんけれども、生きてきました。オスロ大学に行って大学院まで進んだので学生時代が長かったです。ノルウェーでは30歳になるまで学生している人とかが、普通です。
 日本では年齢による圧力が強いから、もっと若い頃は自分で勝手に気にしていたかなと感じます。今はもう気にしませんが。もっと若い頃から、そういうものから解放されていればよかったと思います。

舟橋
 わたしは就活もして大学院の準備もしながら、 というかたちで両方で進めていました。

 ゼミ論を書いていて絵本のことをテーマとしていたのですが、それをやりたいという気持ちが高まってきたことと、運が良いのか悪いのかわからないのですが、全然内定が出なくて。
「あっ自分はこっちに導かれているんだ」と勝手に思い込んで大学院の勉強を始めました。

 上智に入ったきっかけは通訳翻訳といったことができるようになりたいという夢があって入ったのですが、そういう思っていた方向へ転がりだした感があって、「あっこっちを頑張ろう」と思って大学院へ進学して、そういう経験が積めたのは良かったです。

 そのあと、そのキャリアを続けていこうと思っていたところ、たまたま通訳で入った現場が展示会だったのですが、そこの主催者の方と知り合いになって、「うちに来ないか」という話をいただいて、新卒で入りました。
 そのターニングポイントでは、「新卒で働く」ということは人生で一回しかないな、通訳をやるならまた後でもできるかなと思って、そちらを選んだのです。

 大学院へ進学、 通訳経験、新卒で就職、転職と、ポイントポイントで そのときの流れを感じ取りながら一生懸命考えて、一 個一個進んできたかなと思います。

(オンラインでの質問) 私も外国で大学ではなく、ファッションとかメディアとか、他の勉強がしたいと考えています。松村さんはイタリアでのデザインの勉強のため、どのように学校とか進学先を見つけましたか?

松村
 ネットで学校を探して、現地の先生に直接メッセージして情報をもらっていました。

卒業生のYさんよりチャットでコメント新卒が経験できるのも1回

現役生の皆さんへ!
 わたしはフランス語学科卒業後に大学院へ行き、2年で修士を終わらせるべきところ3年かかりましたが、それでも新卒で就職出来ました。回り道したことは後悔してません。両親を説得するのに苦労もしましたが、寄り道したからこそタイミングよくいまの勤務先に出会えたと思います。
 皆さんも焦る必要もないと思いますが、新卒が経験できるのも1回ですし、新卒採用は独特な文化かもしれませんが、逆に実績がない大学卒業したての学生を雇ってくれる日本企業はとても親切だと思うこの頃です。
 ドメスティックな組織に勤務している先輩より。

●今振り返って、どんなことを大切に自分の今を切り拓いてきたと思いますか?

鈴木
 
皆さんの話を聞いて共通しているのは、きっと自分の好きなこととか信念だけはどんな状況でも曲げないで持っていることなのかなと思いました。 わたしも結局、最初から食品、特にお菓子にずっと興味があって、体調の悪いときもフードアナリストとかチョコレート検定など資格をとって、そのあとワーキングホ リデーのチャンスがきて、お菓子で行こうと思いまし た。
 食品という自分の好きなことでずっと繋がって今に至っています。

松村
 語学って基本的にいろんな視点が得られると思うので、フランス語はイタリア語を勉強するのに役立ちましたし、発音や文法が)よく似ているので、イタリア語を勉強するハードルがものすごく下がって、あとは実践あるのみ。
 そういう意味ではフランス語をちゃんとやっていてよかったなと思います。 

 基本的に日本にある欧米の情報って、アメリカが中心になっているので、それとは全然違う物の見方 とか考え方がフランス語を通して見られます。
 いろんな概念とか考え方ってヨーロッパ発祥のものがまだまだある。ヨーロッパにはすごく価値があると思う。
そ の辺を見られたのはすごく良かったし、まだまだ勉強 していきたいです。


 外国語はできてあたりまえで、加えてその外国語 を使って何ができるか、という能力を伸ばしていくと 強い。
 
私だったらジャーナリストとして現地のことばはできてあたりまえ、加えて写真を撮る技術、情報収集能力、ネットを使う能力とか。自分の「道具箱を強化していく」という感じ。
 インターネットの変化に上 手くのっていくというのも大事。じゃないと今の感じの仕事は全然なかったので。
 発信していくと広がっていきます。好きなことを発信していくと、その仕事が集まってきますね。

増田
 自分が何を軸において生きるかがはっきりしていることが今につながりました。そのために、どうい う能力が必要ということを考えてきました。
 
フランス 語圏アフリカで働くにあたって、フランス語ができる ことは十分条件にはならないが必要条件にはなる。
 フランス語圏に携わる面白さ、利点は、フランス語圏は つながっているということ。フランス語圏を概観する RFI とか France 24、Jeune Afrique のようなメディア や国同士の地域のなかでのつながりがあり、ある種の定点観測がずっとできます。

舟橋
 日本以外の場所へ出ていくと違う風が吹いていて、自分が揺さぶられる経験があり、そのぶん自分が 強くなって新しい力がつくのかなと思いました。

田中
 体験に根ざした貴重な話に感動しました。パネラーを快諾していただき心から感謝です。

■ 終わりに 主催者一同より

 リモートで世界中とつながる初の試み、卒業生の多様 な体験をインターアクティブにシェアできて楽しい時間でした。
パネラーの皆さん、ご参加の卒業生、現役 学生の皆さん、企画担当の皆さん、誠にありがとうございました。

上智大学フランス語学科同窓会・会報No. 37(2021年2月25日発行)より再掲、一部当日のビデオ資料書き起こし資料により加筆

※掲載内容は発行当時の情報です。
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