エンターテイメントのビジネスデベロッパー 府川葵さん(2011年卒)

◆ 転機――2008年四川大地震

2008年5月12日、実家のある四川省でマグニチュード8の地震があった。その直後、同級生の中で「フォンちゃんが学校から消えた」ことで知られたと思う。なぜなら、12日午後 テレビ朝日の報道ステーションに呼ばれて、報道番組の字幕翻訳のアルバイトを急遽始めたからだ。四川省は方言があって、地元の人でないと言葉を訳せないからだった。地震当日実家に何度も電話したが繋がらなくて、テレビ局だったら映像素材とかで少なくとも被害の状況がわかる!と思い、しばらく六本木に通っていた。実家と連絡付かないまま2日間が経って、ひとりじゃ居ても立っても居られなかった。幸い報道局の人たちと一緒にいることが心の救いとなった。地震後三日目にやっと母親が電話に出て、家族全員無事だったことを確認とれて、ホッとした。 今になって振り返ってみると、四川大地震時のバイトは私にとって不幸中の幸いで、それがきっかけでNHKのドキュメンタリー番組のコーディネーターをしたり、テレビ東京の経済番組や対談番組の制作にも携わって、さらに中国のIT企業に転職。これが私のキャリアの軌跡だ。

◆ 現在――今の私とフランス語

日本に残ることを決意し、日本国籍へ帰化した私はその後、テレビ業界から中国のIT企業でキャリアを積んで、現在ゲーム会社で仕事をしている。初めに日本へ来るとき、大学を卒業したら、日中の懸け橋になりたい、メディアの仕事がしたいと思っていた。テレビの番組制作の仕事の延長線上に、時代の動きとともにエンタテイメントのコンテンツの世界が広がった。
今はゲーム業界のビジネスデベロッパーで、ゲーム開発のフロントにいる窓口みたいな仕事をしている。企画から、プロジェクトの立ち上げ、さらに開発、プロダクトリリースするまでの宣伝などを全面的にサポートするのが業務内容で、日本語、中国語と英語少しを使っている。 さて、ここまで話をして、肝心なフランス語は?実は卒業後、仕事はフランス語と全く関わることもなく、フランス語は趣味・教養として、そのまま生活の一部になっている。大学入試の時に言ったフランス語のままで小説読むことはある程度できるようになったが、シャンソンやF-popを聞いたり、フランス映画を観たりして、社会人生活の中でフランスの話題で、同じ趣味の仲間を見つけることもできた。フラ語の友だちとはもちろん今でもつながっている。
2022年6月 サントリーホールで。楽しいビゼーとチャイコフスキーが聴けました!

府川葵(ふかわ あおい)さんのプロフィール

中国四川省成都生まれ、2006年 上智大学外国語学部フランス語学科に入学。大学卒業後、テレビ東京の番組制作会社を経て、アリババグループで日本のコンテンツ配信権の販売や中国で大人気のポケモンやガンダムなどのキャラクターのライセンスビジネスを担当。現在はテンセントゲームズでゲームの営業をしている。仕事で日中間の文化交流の現場に携わることができて嬉しい。 帰化したときには、四川省成都の別称「天府の国」から府川(ふかわ)という苗字を、向日葵の葵(あおい)を名前に選んだ。
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