『パヴァロッティとぼく』を翻訳 楢林麗子さん

楢林麗子さん(1975 年卒)

上智大学フランス語学科同窓会・会報No. 37(2021年2月25日発行)より再掲
※掲載内容は発行当時の情報です。

原文はフランス語ではなくイタリア語ですね。

はい、イタリア語です。

フランス語は、学生時代 は部活に明け暮れ、熱心に勉強しなかったせいか、どうしても難しいという観念が抜けず、使う機会もないので もうほとんど忘れかけていました。

最後にフランス語を 使ったのは 20 代で、パリ・オペラ座の日本公演のアテン ドを 2 か月させていただいたときでしょうか。

でもその ときに観た本場の舞台芸術の素晴らしさは、深く心に残 りました。
イタリア語を始めたら、フランス語も少しず つ思い出しましたけれど。

 


著者のエドウィン・ティノコ氏(右)と 
2019年12月モデナにて 

いつイタリア語を習い始められたのですか。そのきっかけは。

ちょうど 50 才の時に始めました。そのころイタリアオペラにハマり、イタリアの小さな街で開かれていた夏の 音楽祭に行ったのですが、街の中では英語がほとんど通 じなくて、年配の人だとフランス語がかろうじて話せるくらい。メニューを見てもよくわからない。これはイタリア語を知らないと何もできないと思ったからです。またオペラを観るときに、字幕を読まずに耳で理解したい、 歌に集中したいと思ったのも理由のひとつです。

「Never too late(何事も遅すぎることはない)」という言葉があ るように、もう 50 才だからとはまったく考えませんで した。イタリアに留学したことも住んだこともないので、 週1回イタリア語の学校に通いました。予習も復習もし ていましたから、学生時代の私を知っている友人は別人 かと思うでしょうね。 

どのような経緯で出版が実現したのでしょうか。お聞かせください。

友人がパヴァロッティの熱烈なファンで、パヴァロッティの別荘があるイタリアのペーザロという街に行くとい うので、同行したのがきっかけです。

その時にパヴァロッティのパーソナル・アシスタントをしていたこの本の著者 のエドウィン(通称 “ティノ”)と初めて会いました。

その後連絡を取り合っていましたが、パヴァロッティの没後 10 年目に彼が本を出したことを知り、すぐに取り寄せて 読みました。

“ティノ” の本には、マエストロの聡明さや 愛情深い人柄、音楽への愛、ポジティブな姿勢などが、愛 と尊敬を込めて生き生きと描かれていて、とても感動した のです。“ティノ”にしか書けないエピソードも満載でした。

これはぜひ日本のファンに、そしてパヴァロッティの名前 だけ知っているという方や、オペラになじみのない方にも 読んでいただきたいと思いました。もしこの本を日本で紹 介できたら、オペラの世界への扉を開いてくれたマエストロや、いつも心にかけてくれたティノにささやかな恩返しができるのではないか と思ったのです。 


1999年1月
来日公演の楽屋にて

マエストロとは東京公演のときにお会いになったとか。マエストロの印象は。

最後にマエストロに お会いしたのは 2004 年の東京での引退公演 のときでした。ひざを 痛めていらして、「高さ調節のできる黒いスツール(本に何度も登場するお気に入りのスツール)」に座ったまま歌われたのですが、楽屋ではあの大きな笑顔で迎えてくださいました。

ファンをとても大切にしてくださる方だったという印象があります。 

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