シャンソンを愉しむ 南舘 英孝先生(1966 年卒)

シャンソンを歌い始めて 7 年になる。聴衆の皆さんはフランス語が堪 能とは限らないので、歌う前に曲の内容や、関連するエピソードなどを紹介する。 そんな時に、思うことがある。

その1: 日本では、日本人が日本語の訳詞で歌うことが多い。自然なことである。ただその訳詞がフランス語の原詞とは異なり、その「翻案」、またはほぼ創作と思える場合すらある。

一つの例: Edith Piaf の Hymne à lʼamour 。
有名な訳詞家による訳:「あなたの燃える手で、私を抱きしめて、固く抱き合い、口づけを交わすの、」、甘い恋の賛歌である。原詞では「天空が落ちても、大地が崩れても、私は構わない、あなたが私を愛してくれるなら、私は祖国も捨てよう、友とも縁を切ろう、あなたがそう望むなら、」である。この歌は Piaf が大恋愛の妻子ある恋人と訣別するために書いた曲であるとも言われる。訳詞からは原詞の激しい胸の内が全く伝わらない。

別な例: Jean Ferrat の La montagne 。これは 1960 年代の 人々が生まれ故郷を離れて憧れの都会へ出て行くという社会 風潮への警鐘の歌であり、地方の伝来の豊かさを蔑ろにして 安易に都会の利便性に翻弄される空虚さを歌った曲である。 ところが、ある訳詞家の訳では、故郷の山河への郷愁と、モ ダンな都会生活への憧憬が歌詞の基調にされている。一般に、日本語の訳詞は情緒的、感傷的で受容的であり、原詞は社会や人生の現実を直視し、具体的である。

その 2:「韻」を楽しみたい。
Charles Aznavour の La bohème も、Salvatore Adamo の弱冠20 歳の作品 Tombe la neige も、見事に韻を踏んでいる。
韻律の美しさは、フラン ス語で歌わないと伝わらない。

私のシャンソンの楽しみは、その昔フランス語を学んだお蔭である。ある人が私を chanson の伝道師と言った。おこがましいが、少しでもそうなれたら、と思う。 

上智大学フランス語学科同窓会・会報No. 37(2021年2月25日発行)より再掲

※掲載内容は発行当時の情報です。
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