世界を爆走する旅のプロフェッショナル Klee邦子さん(1966年卒)の冒険譚(1)バリ島〜フランス/ハワイ〜カナダ〜NY〜南米・イースター島/モンゴル/アマゾンのオペラハウス

ハワイからカナダ、ニューヨーク、そして南米へ

 結婚後、主人はフランスの輸出入関係の会社の日本支社に勤めていたので、フランスへ年に一度帰るのに色々な帰り方をしました。

 ある年はアメリカ経由。ハワイで何日か過ごした後、カナダのトロントに到着。飛行場でスーツケースが届かず夏着のままでホテルを探した時、主人がフロントに行って空き部屋があるかと聞いたら、無しとの答え。タクシーの運転手に「日本人の貴女が聞きにいったほうが良い」と言われ、聞きにいったら空き部屋ありとの答え。主人が英語で聞くとフレンチアクセントが出るので、ケベック州から来たカナダ人と思われ、断られたそうです。平和そうな国でも地域別の衝突があるのを知らされました。

 その後ニューヨークから南米を一周。1ケ月の航空券を買い、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、チリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、ガテマラ、パナマと旅を続けました。

 ボリビアのラパーズに着いた夜、主人に起こされました。「苦しい死にそうだ」と言います。スペイン語が話せないので、隣の部屋のカナダ人を起こして病院に行くと、高山病とのことで、酸素吸入したらケロッと治って旅が続けられました。

 ラパーズから世界最高地にあるチチカカ湖へ向かいました。さらにクスコー、マチュピチュへとインカ帝国の旅を続けるうちに若い仲間が増え、ペルーのリマに着いた時には全部で八人になり、ホテルのファミリールームで寝たりしました。

 サンチャゴからイースター島まで足を伸ばしました。イースター島の飛行場は掘立小屋のようなターミナルがあり、タクシーはありません。そこに止まっていた車と交渉して、町の真ん中に連れていってくれと頼むと、教会がポツリとある所まで行って、「ここが町の中心だ」と言うのです。ホテルは見当たらず、交渉して島民の家に泊めてもらいました。

 翌日、前の日に乗った車で楽しみにしていた「謎のモアイ像」巡りを始めました。巨大な石像が島のあちこちに並んで立っています。ところが、一つのモアイ像に着くと「もうガソリンがないから次には行けない」と。結局は値段の交渉をすると2番目へ行き、そこでまた値段の交渉。その度に値段を上げられて苦労したのを思い出します。

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