『暮しの手帖』というタイムマシン 

第 1 世紀 96 号 『戦争中の暮しの記録』のこと

もうひとつ、お話ししておきたいのが、第 1 世紀 96 号の『戦争中の暮しの記録』のこと。1968 年です。この頃 100 万部近く売れていた雑誌だったんですけれど、 すべての連載をストップして、読者の戦争体験の作文を全ページにわたり掲載しました。それはよくある兵士の体験ではなく、英雄の話でもなくて、送り出した側、お母さん、お婆ちゃんだっ たり子どもだったり……彼ら庶民がどんな思いでいたか、どんな暮らしを強いられていたかというものです。 翌年単行本となり今でもロングセラーとなっています。 50 年前に出された重厚な本が今でも存在感を放っています。僕自身確かに凄い一 冊だと思います。焼け跡写真の上に書かれた、花森の「戦場」という檄文の一部を読みましょう。 

「〈戦場〉は いつでも 海の向うにあった
海の向うの ずっととおい
手のとどかないところに あった
学校で習った地図を ひろげてみても
心のなかの〈戦場〉は いつでも それより
もっととおくの 海の向うにあった
(中略)
いま その〈海〉をひきさいて
 数百数千の爆撃機が
ここの上空に 殺到している(中略) 
ここを 単に〈焼け跡〉とよんでよいのか
ここで死に ここで傷き 家を焼かれた人たちを
ただ〈罹災者〉で 片づけてよいのか
ここが みんなの町が〈戦場〉だった
こここそ 今度の戦争で もっとも凄惨苛烈な

〈戦場〉だった(中略)
海の向うの〈戦場〉で 死んだ
父の 夫の 息子の 兄弟の その死が
なんの意味も なかった
そのおもいが 胸のうちをかきむしり
号泣となって 噴き上げた
しかし ここの この〈戦場〉で
死んでいった人たち その死については
どこに向って 泣けばよいのか」 

胸を打ちますね。これはもっともっと長い詩なんです。 日本の本土が戦場であるという。こここそが戦場であっ たという。
ここで死んでいった人たち、その悲しみがどこに向かうのか? という。なんの意味のなかった死、 それと隣り合わせにいた庶民たちの本。 

2,390 通の体験談 『戦中・戦後の暮しの記録』

で! この 2018 年の夏、この本から 50 年目の夏に、 僕らもこれを継ごうということで、新たにプロジェクト を打ち立て、一冊の本を作りました。 あなたの戦争体験を書いてください、というもの。本人が書けなくてもその語りを、子どもたち、親戚でも知り合いでも、誰かがまとめるというのもよいでしょうし ……、さらには今回は戦後の体験談もぜひ……という形で募集しました。 

でももう時代的に遅いのかな? 多くは結構なご年輩だろうし、来ないんじゃないか? 200、300 通くらい来たらいいんじゃないか……なんて気弱に募集を始めたんですけれど、蓋を開けてみますと、なんと 2,390 通が編集部に 届きました。

それはもう壮観でした。多くは手書きの達筆な文字で。昔の方は綺麗な字を書くんですよね。それが一 番印象的でした。20%ちかくは聞き書きをまとめられた方 がいて、母の語りを私が代筆しました、みたいな。こういったコミュニケーションが取られたこともうれしかったですね。

最も感じ入ったのは、上手下手なんて関係なくて、圧倒的な体験と感動があったらよい作品になるんだなということですね。 

それで一冊になったのがこちらです(写真)。花森さん、どうでしょうか? って恐る恐る聞いてみたいなって思っています。

編集しつつ、はっと気づいたのは、これに応募してきた人は当時子どもだったんだなということなんです。70 数年前、1945 年あたりの記憶がある、今もご健在の人って当然そうですよね。10 歳前後くらい。ですから、子ども の目線で書かれた原稿がほとんどです。 

父がいなくなったこと、母が泣いていたこと、おなかがへったこと、涙、痛み、熱さ、恐怖……あらゆる体験が今も強烈に残っている。引きずって今を生きていらっしゃる。そういう記憶は一生消えないものなのですね。 消えるどころか、時とともにむしろ純化されて、言葉に結晶する。それがこの本です。 それぞれの子どもが体験した原稿はどれもがとてもリアルでした。読んでいると、それこそタイムスリップしたような気持ちになりました。編集中はあっちの時代に行ってしまっていて、とくに今のおちゃらけた時代に意識を戻すのに苦労しました。テレビのバラエティ番組なんか、本当にバカ騒ぎにしか見えなくなりましたね。まだまだ落とすに忍びない作文がたくさんあるんで、次の 夏は「2」も編もうかなと考えています。

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